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映画女優としての最後の記録になる

春日 岩下さんのお話はほぼそのまま、何も手を入れないで文章になるんです。インタビューをほぼそのまま文字にしたら本になってしまった。最初に今回のこの企画をお聞きになったときはどのように思われましたか。

岩下 ちょうど女優生活60周年を迎えるところでしたので、私の映画女優としての最後の記録になるなと思いましてとても嬉しかったです。以前、春日さんが東映京都撮影所に関してお書きになった『あかんやつら』や、五社英雄監督についてのご本を読ませていただいたんですが、ものすごく細かく取材なさっていて、このかたなら信頼できると思い、快諾させていただきました。

春日 光栄なお言葉ありがとうございます。取材にあたっては、毎回、今度はこのテーマで、と事前にお伝えしていたのですが、岩下さんが取り上げる作品をすべて確認されていたことに驚きました。

岩下 昔の映画だとずいぶん忘れてしまっていることが多いんですね。私の作品に関しての記事はお手伝いさんがずーっと切り抜きでとっておいてくださっていたので、それを探し出して、私自身、当時どういう気持ちでいたのかなど読み返したりもしましたね。あとはDVDを全部見返して。

岩下志麻さん 春日太一さん ©志水隆/文藝春秋

当時は本当に子どもだったなあ

春日 あらためてご自身の出演作をご覧になって新たな発見はありましたか?

岩下 いやあ、もうずいぶん仕事してきたんだなあってつくづく思いましたね。私は女優になるかならないかわからないような気楽な気持ちで松竹に入ったものですから。最初に撮影した木下恵介監督の『笛吹川』(1960)という作品に関しては、なんだかわけがわからないまま行ってました。19歳で初めて大人の中に入ってホームシックにかかるだけで、仕事が楽しいなんていうことは思えなかったですし、泣いてばかりいましたので。当時は本当に子どもだったなあ、監督はすごく苦労なさったんだろうなあ、と思いました。

©志水隆/文藝春秋

春日 当時のご自身の演技をご覧になってどう思われましたか。

岩下 デビューしたころ? デビューしたてのころの何本かは、すごく素人っぽくてずいぶん恥かしいのがありますね。もう1回やり直したいくらい。無理ですけど(笑)。女優をやっていこうという意識にまだ目覚めてなかったんですね。だから、ただセリフを覚えて現場にいってなんかやる、そういう感じでした。台本をなぞっているような芝居が多かったり、あんまり意味を深く考えないでせりふを言っていたり、表情ももうちょっと違う表情ができただろうと思いました。ただ、私は与えられた仕事に対しては一生懸命やるので、手を抜いてやったという記憶はないですね。とにかく一生懸命やらさせていただきました。

『五瓣の椿』より

春日 自分の演技がかわったなと思ったのはいつごろでしょうか。

岩下 そうですね、『五瓣の椿』(1964)っていう作品をやらせていただいたときに、野村芳太郎監督に「一行のセリフだけど、悲しく言ってごらん、泣きながら言ってごらん、怒りながら言ってごらん」とご指導をいただいたんです。それで、あ、ひとつのセリフの中にこんなにもいろんな言い方があるんだっていうのを発見して、演技というか役を作っていくというのを初めて教えられたような気がしましたね。