岩下志麻は今年で女優生活六十周年を迎える。それに合わせる形で、岩下の役者人生を筆者に語り尽くしていただいた新刊『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』がこの二月二十六日に発売になる。
ここで語られている映画や大河ドラマにおける役作りや、監督・共演者たちとの邂逅についての濃厚なエピソードの数々は、映画ファンにはたまらない一冊だろう。それだけでなく、映画に興味がない方にも、その壮絶な生きざまは普遍的な人間ドラマとして突き刺さるのではないか。
そこで今週からは岩下の出演作品を立て続けに取り上げていきたい。今回は『五瓣の椿』。岩下にとって役者としての大きな転機になった作品だ。
岩下の芝居には、狂気ともいえる恐ろしさが漂うことが多いが、一九五八年にデビューしてしばらくはおしとやかな少女・淑女役が多かった。それが六四年に本作と巡り合うことで、才能が開花する。
舞台は天保年間の江戸。おしの(岩下)の母親(左幸子)は、病に苦しむ夫(加藤嘉)をないがしろにして男たちと情事を続けていた。父の死を契機に、おしのは復讐を決意、まずは母親、そしてその愛人たちを次々に殺害していく。
父との回想場面では純朴そうな少女に見えていたおしのが、復讐の鬼と化していく様を岩下は見事に演じていた。大人の男たちを手玉にとる妖艶さ、復讐に際して放つ殺気と狂気――。いかにして役作りをしたのかは新刊本を読んでいただくとして。変貌していくおしのの姿が、箱入り娘のイメージを捨てて本作に挑む岩下自身の女優として成長していく姿と重なり、凄まじい迫力で観る者を圧倒する。
その結果、とてつもないことが起きる。復讐のために対峙する相手を演じる役者は、母親役の左、愛人役の伊藤雄之助、岡田英次、小沢昭一――いずれもが、アクの強い演技で知られる名優たちだ。このクセ者たちを前にして岩下に圧(お)された雰囲気が出てしまっては、おしのの復讐の狂気に説得力がなくなってしまう。だが、当時わずか二十三歳の岩下は堂々と渡り合ってみせたのだ。特に圧巻だったのは、左との対決の場面だった。
おしのを復讐へと駆り立てることになるこの場面。両者は互いに生の感情をぶつけ合うのだが、ここで岩下が見せた演技が強烈だ。父への慕情、母への憎悪、そして自らにも流れる母と同じ淫蕩な血への嫌悪――それらの感情が混然一体となり、変幻自在な芝居を見せてくる左を相手に、真っ向から引けをとらない情念を表現してのけてみせたのだ。
作品としてだけでなく、一人の女優の成長を追うドキュメントとしても楽しめる。