発売中の新刊『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』の取材時、筆者は岩下に約二十時間に及ぶインタビューをさせていただいた。あれだけの大女優を相手にするのだから、さぞや面倒なことや怖い目に遭うことがあったに違いない――と思われる方もいるかもしれない。が、そんなことは全くなかった。むしろ逆だ。
決して偉ぶることはなく、独善的に自分のことだけを語ることもなく、広い視野で理知的に各作品の現場のことをお話しいただいている。女優といえば神輿に担がれている側というイメージが強かったが、うかがって受けた印象は、現場スタッフに近かった。
岩下はただ女優として守られて暮らしていたのではなく、夫・篠田正浩と独立プロダクション・表現社にあって二人三脚で苦労しながら映画製作をしてきた。そのため、神輿の上からではなく、担ぐ側の目線から映画の現場を見ることができているのだろう。
今回取り上げる『心中天網島』は、その表現社が資本も含めてメジャーから独立した体制で作られた最初の作品だ。
近松の浄瑠璃を原作にした本作の舞台は、元禄期の大坂天満。商家の旦那・紙屋治兵衛(中村吉右衛門)は妻子がありながら遊女・小春にのめり込んでいく――。これが、大まかな物語設定だ。
本作で岩下が演じるのは、治兵衛の妻・おさんと小春の二役。この二役について篠田は、「おさんは母性とモラル、小春がエロス、これを一緒にしたのが男性の理想像。それを二人の人間に分けた」と捉えていたという。その理想像を岩下なら完璧に表現できるだろう――という信頼がなくては選べないテーマだった。
そして、岩下はその信頼に見事に応えてのけている。
たとえば冒頭の小春。治兵衛を見つめる表情の切なさ、キラキラした瞳の可愛らしさと儚さ、治兵衛に身を委ねる時の一挙手一投足の艶めかしさ。全てがまさに「エロス」を体現しており、その先に破滅しか待っていないと分かっていてもハマり込むしかない、そんな魔性を全身から放つ。
おさんもまた、しかり。
迷子になった娘の手を温める仕草、子供を寝かしつける優しい眼差し、浮気夫や小春すら心配する慈悲。母性の体温を感じられる芝居だった。
監督の思い浮かべる魅惑的なイメージと、そのイメージを見事に具現化していく女優。まさに最高のコンビといえる。
それだけではない。岩下の話によれば、本作の現場で岩下は表現社の一員として共演者たちのケアをしたり、公開時には自ら前売り券を手売りして回ったという。一人二役どころか、三役まで務めていたのだ。つくづく、凄い人だ。