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だんだんとケンカの内容が変わり、チームとして固まっていった

――セピアはケンカが多かったと聞きますが。

中野 しょっちゅうです。最初の頃は、ほんとに些細なことでケンカになってました。「あいつがああ言った、こいつがこう言った」とか「何を貸した、何を貸さない」とか。仲裁は僕が担当というか、僕しか止められないんですよ。それぐらいやり合ってましたから。

 でも、だんだんとケンカの内容が変わってくるんですよ。「曲をこうしたい」とか「ツアーでは、こう聞かせたい」とか。ケンカといっても、チームとして固まってきているのがわかってくるのが嬉しかったですね。

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 嬉しかったといえば、田中角栄と会えたのも自分的にはグッときましたね。あと、寅さんの渥美清さんにも会っていて。

田中角栄、渥美清との遭遇

――どういったシチュエーションで、田中角栄と遭遇を。

中野 セピアは1984年に徳間ジャパンから『道が俺達の背を押した。』っていうデビュー・アルバムを出したんですよ。それでセピアが、徳間のドンだった徳間康快さんのパーティーに招待されたんです。

 パーティーだからガヤガヤしてたんですけど、急にみんなが黙ってシーンとなっちゃって。「なんだ?」と思っていたら、今度はザワザワしだしたんですよ。そうしたら眼光の鋭いスーツ姿の連中がダーッと会場になだれ込んできて。SPですね。で、そのなかに田中角栄がいたんですよ。

 一世風靡の代表だった大戸天童が、ひれ伏さんばかりになっちゃって。大戸の父親は、田中角栄のお膝元で政治家をやってたんですよ。だから、かしこまってすごいんですよ。代表がそんなふうになってるから、セピアの連中も「ははあ」って感じですよ。

 

――なにか声を掛けられたりは。

中野 ドカッと会場の真ん中にある席に座って、僕らのほうに一瞥くれながら「なんだ、そこの奴らは?」と徳間の人に訊ねて。「一世風靡セピアと申しまして、歌ったり、踊ったりするグループです」「一世風靡……いい名前だな。頑張れよ!」と言ってくれましたよ。

――渥美清さんとの遭遇は、どういったシチュエーションで?

中野 安部譲二さんのベストセラーを映画化した『塀の中の懲りない面々』(1987年)に、ギバさんが出ていて。その撮影があったのが、松竹の大船撮影所だったんです。その時、僕は彼の付き人だったから一緒に大船に通っていて。

 渥美さんも『男はつらいよ』の撮影で大船にいたんじゃないかな。当時のギバさんは新進俳優として注目されてましたから、それで渥美さんも興味を抱いてたんでしょうね。「柳葉君、一緒に昼飯食べよう」と、ギバさんと僕にご馳走してくれたんです。