一世風靡のメンバーになった経緯
――どんな話を。
中野 『男はつらいよ』の話ですね。「テレビ版よりも映画の1本目がいいですよね」とか僕がまくしたてるもんだから、ギバさんが全然しゃべらなくなっちゃって。あまりにも僕がしゃべってるもんだから、しまいには渥美さんに「わかった、わかった。あのさ、僕は柳葉君としゃべりたいんだ」って言われました(笑)。
渥美さんからサインをもらって、それはいま太賀が大事に持ってます。
――最終的に、中野さんも一世風靡のメンバーになるわけですよね。柳葉さんや哀川さんが活躍しているのを見ているうちに「自分も」という気持ちに。
中野 僕は劇男一世風靡に入って、劇男員になるんですけど、それが理由としては大きかったですね。僕が一番若かったのに、一番動けていなかったんですよ。それが嫌で嫌で。「なんで俺、こんなことしてんだ」って思って、手を挙げたんです。「俺もやりたいです」って。
CHA-CHAのオーディションで大将に言われたこと
――1989年7月に、一世風靡セピア、劇男一世風靡は解散。その前年に、劇男一世風靡の劇男員だった勝俣州和さんがCHA-CHAのメンバーとしてデビューしますが、中野さんもCHA-CHAのオーディションを受けていたそうですね。
中野 そのオーディションで、勝俣は僕の前の席に座ってました。一緒に受けたんでね。僕ら劇男員なんていうのは、まず当たればいい、なにかにハマればいいから「お前ら、今日はあそこのオーディション受けてこい」とか言われて、毎月のように映画やドラマ、なにかのグループのオーディションに何人かで行かされてたんです。これは一世風靡に限らず、どこのプロダクションでもそうだと思います。
で、CHA-CHAのときも、そういったオーディション回りの一環として受けたんですよ。
――CHA-CHAのオーディションは、草彅剛さん、木村拓哉さんも受けていたそうですが。一緒に受けていたりは。
中野 ふたりのことは、わからないですね。とにかく、前の席に勝俣が座っていたという(笑)。
――CHA-CHAは欽ちゃんファミリーの枠に入るグループです。萩本欽一さんは、柳葉さんの付き人として『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』の現場に出入りしていた中野さんのことを知っていたのではないですか。
中野 そう、大将は僕の顔を知ってるんですよ。大将って、タレントに付いてる人間の顔と名前も覚えてるんですよ。だから、僕が立っているのを見て「柳葉に付いてる君が、ここで何してるの?」って。「いや、僕もプレーヤーなんです」「そうか。大丈夫、落とすから」と言われました(笑)。
写真=山元茂樹/文藝春秋