『日本統一』シリーズや『アウトレイジ』シリーズなどで知られる俳優・中野英雄(59)。

「最近は(仲野)太賀のお父さんというキャラになってるみたいですね」と語る彼に、母子家庭だった少年時代、ケンカに明け暮れていた暴走族時代、哀川翔との初対面となった路上対決などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/続きを読む

中野英雄

◆◆◆

ADVERTISEMENT

父の大学進学に合わせてに家族全員で京都へ

――中野さんの生まれは、京都の左京区なんですね。

中野英雄(以下、中野) 京都で生まれて、3つか4つまでいたんですけど、当時の記憶はまったくないんです。親父が札幌南高校を出て、京都大学に進んで、家族みんなで京都に移って。そして、学生結婚をして、僕を生んだと。

――お父さんの進学を機に家族全員で京都へ。

中野 中野家は、もともと北海道の美唄市で呉服屋をやってたんですよ。だけど、店が火事になったりして引き払うことになって、親父の大学進学に合わせて一緒に京都に出てきたんです。

――北海道屈指の進学校である札幌南高校から京都大学。お父さんは、相当な方ですね。

中野 まぁ、経歴だけ聞けば(笑)。京大を出て、東京で大きな不動産会社に就職して。その後会社を辞めて友達と不動産屋をやるけど失敗して、そこからは1人で不動産屋を続けて。市ヶ谷あたりに事務所を構えてたのは覚えてますね。もう81歳か82歳になりますけど、いまも現役で不動産業をやってます。

 

――お父さんの就職に合わせて、今度は京都から東京へ移ったんですね。

中野 そうです。小学校のときに両親が別居して。僕はおふくろと中野の大和町に暮らすことになるんです。最終的に両親は離婚して、僕は親父、おじいちゃん、おばちゃんが住んでいた阿佐ヶ谷の家に移りました。

 親父は再婚したので、新しいお母さんがやってきて。新しいお母さんとは気が合って仲が良かったんですけど、酒飲みでね。肝硬変になって、僕が『愛という名のもとに』(フジテレビ・1992年)に出た頃に亡くなりました。