中1でグレたきっかけは釣りだった
――いつまで中野区大和町に。
中野 小4までです。子供を連れて別居していたから、いわば母子家庭でしょう。食べるものがないなんて日もあったりして、本当にきつかったですね。小4で親が離婚して、小5から親父に引き取られて阿佐ヶ谷ですね。
――グレ始めたのは、中学からですか。
中野 中1から。小学校までは、全然普通の子供でした。
グレたきっかけは、釣りだったんですよ。いまはやらないんですけど、小学生の頃に釣りが好きで。おじいちゃんから古い竿を借りて、500円をもらっては、友達と寿々木園って釣り堀に行ってたんです。週イチでそこに行っていたら、I君というテキ屋さんの息子がいて。彼は中学生で、釣りがうまくて、僕らの釣りの師匠としていろいろ教えてくれてたんですよ。
そのI君のお兄ちゃんが、マッドスペシャルって暴走族の総長をやってて。中学に入ってから、浮きなんかをもらいにI君の家に行くと、暴走族のフラッグとかステッカーがバーっと貼ってあって「なんじゃこりゃ?」みたいな。矢沢(永吉)さんのLPもあって「これ、なんですか?」「矢沢。聴いてごらん」って、聴かせてもらったり。そうやって、だんだんとそっちに寄っていって。
ファッションとして暴走族やツッパリが流行っていた
――時代的にも、暴走族やツッパリが流行っていたという。
中野 ファッションとして流行っていたんですよね。昭和53年とか昭和54年ですよ。1本目の『3年B組金八先生』(TBS・1979年)が始まった頃で、あのなかにも出てくるじゃないですか。
――「学ラン長ラン大混ラン」ってエピソードがありましたね。マッチ(近藤真彦)が、長ランで学校に来て騒動が起きるという。
中野 まさに、あんなノリでしたよ。『金八先生』のマッチもそうだったけど、僕らもどこかバチッと決まっていない。情報はちょこちょこ聞いているけど、「もうちょっとで不良なのに……」という中途半端な感じでね。いろいろやっていくうちに、だんだんと仕上がっていくんですけど。
――私服なんかも、そっち系になるわけですか。白のハイネックにトロイのカーディガンを羽織ったりとか。
中野 中学に上がると、ジーパン穿いたりとか、そっちのほうに行くじゃないですか。でも、僕はジョーゼット生地のトップスにスラックスとかね。ちょっと、ヤクザルックというかね。網のサンダルとか餃子靴を履いて。