で、乗っていた単車がそういう単車でしょ。阿佐ヶ谷から落合に行くとなると、中井を通らなきゃいけない。そうすると、どうしてもスペクターに見つかっちゃうんですよ。それがイヤで、ラッタッタ(原付バイク)で翔さんの家に行ってました。でも、そんなにケンカはしてませんでしたよ。どっちかというと、中学のときのほうが派手にやってました。
西荻大乱闘のエピソード
――どんなケンカを。
中野 潰しに行くんです。よその中学校を潰しに行って、潰したら自分たちの舎弟にするっていう。まぁ、そういう時代だったんですよね。
――遠征もしましたか。
中野 遠征もしましたね。吉祥寺のほうに行ったときに、大乱闘になってしまって。西荻大乱闘という、僕らの時代では語り草になっている騒ぎもありました。
「きったねぇ頭」ケンカがきっかけだった翔さんとの出会い
――話は戻りますが、哀川さんとの出会いは、ケンカがきっかけだと。
中野 16歳の冬ですね。家のそばのガード下で、仲間でたむろしてたんですよ。ドカジャン着て、ウンコ座りして。そうしたら、僕らの前を翔さんが通って。当時の彼はローラー族で、阿佐ヶ谷に住んでる友達のとこに行こうとしてたんですよ。
ローラー族はリーゼントだから、ポマードを塗りたくってるでしょ。僕らはパンチパーマだから、髪が乾き切ってる。そんなカラカラのチリチリの僕らからすると、リーゼントってベッタベタで汚く見えちゃったんですよ。それで「きったねぇ頭」って、僕が思わず言っちゃったんです。
そうしたら、翔さんが鹿児島弁で「なんだ、おまえ」って。でも、鹿児島弁なんて知らなかったから、なに言ってるのかまったくわからなくて。最初、外国の人だと思ったんですよ。「まいったな。外国の人に因縁つけちゃったよ」みたいな。で、翔さんの顔を見たら鬼の形相ですよ。