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『愛という名のもとに』出演のきっかけになったギバさんとのケンカ

――その4年後、『愛という名のもとに』への出演でブレイクすると。出演の経緯は?

中野 ギバさんとのケンカです。ギバさんが『ニューヨーク恋物語』(フジテレビ・1988年)に出てたので、僕も付き人でニューヨークに行ったんですよ。同じ部屋に泊まってたんですけど、ギバさんはお酒が大好きだから、撮影が終わると外で飲んでから帰ってきていて。

 共演の真田広之さん、岸本加世子さんは、そんなこと絶対にないんです。だから「もうちょっと真剣にやったらいかがですか?」とギバさんに言ったら「関係ねえよ、お前には!」と怒っちゃって。次の日にまた口論になってしまって、お互いにキレて、ベッドを壊すぐらいの大ゲンカになってしまって。

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 それを止めたのが、永山耕三さん。

――『愛という名のもとに』を演出した、フジテレビのディレクターですね。

中野 当時、永山さんはフジのニューヨーク支局にいたんです。まず、永山さんが僕を押さえて、照明の菱山(勇)さんがギバさんを押さえて、そのまま永山さんに外に連れ出されて。23時頃だったと思うんですけど、マンハッタンの街で「お前、柳葉を殴るってどういうことだ」「いきなり蹴られて、やってられないじゃないですか」なんて。そこから、いろいろ不満を聞いてもらったり、面倒を見てもらうようになって。

 永山さんは帰国してからも『St.月桂寺HighSchool』(フジテレビ・1987~1988年)に、僕と勝俣を出してくれたりして。で、永山さんが木10、木曜劇場の枠で監督をやることになったんです。それが『愛という名のもとに』で、僕もキャスティングされたんです。ただ、どんな役かは決まってなくて。

阿佐ヶ谷のマックで野島さんにコーヒーの差し入れ

――演じたチョロ役は、脚本を手掛けた野島伸司さんの当て書きだったそうですけど。

中野 『愛という名のもとに』の出演やチョロ役は、永山さんサイドと野島さんサイドの両方から進んでカチッと決まったんです。

 

 野島さんは、ヤングシナリオ大賞を受賞していて。大賞を取った作品がドラマになって、それに僕が出たんですよ。そこで野島さんと会って挨拶して、その後に三上博史さんの推薦で野島さんが脚本を書いた『君が嘘をついた』(フジテレビ・1988年)に出て、打ち上げで再会して、僕も野島さんも阿佐ヶ谷に住んでるって話になったんですよ。

 で、阿佐ヶ谷のマクドナルドに野島さんがいたんです。阿佐ヶ谷のマックは、外から2階の様子が見えるんですよね。野島さんがいるのが見えたから、下でコーヒーを買って「はい、差し入れ」って。「うわ、会えたね」。「頑張ってください。また」みたいな。