オーストラリアでは長年親中派政権が続き、中国と緊密な経済関係を築いてきた。ところがコロナ禍をきっかけに、中国の態度が一変。オーストラリア国内で活発な情報工作活動を展開しているという。
ひるがえって日本は「戦狼外交」を繰り広げる中国とどのように向き合うべきなのか。ここでは、2023年までオーストラリア大使を務めた山上信吾氏による新刊『中国「戦狼外交」と闘う』(文春新書)を一部抜粋して紹介する。
◆◆◆
2020年11月、駐豪大使として発令を受けて間もない頃、送別ランチに招待されて東京三田のオーストラリア大使公邸に赴いた。
かつての華族、蜂須賀家の屋敷跡とされ、風格と趣、そして広大なスケールを有する庭が自慢だ。東京の一等地にあまたある各国大使の公邸の中でも、屈指の環境。その美しい庭園を愛でつつ食前酒の豪州産スパークリング・ワインを共に堪能していた際、突如ホスト側から問われた。
「アンバサダーヤマガミ、なぜ日本はオーストラリアより遥かにうまく中国とやっているのですか」
一瞬、耳を疑った。中国海警局の巡視船が恒常的に尖閣諸島周辺の日本の接続水域に進出、しばしば領海侵入まで企てているのは、東京に駐在している各国の外交官にとっては周知の事実だ。外交常識や国際標準に照らせば、際だって挑発的な行動をしかけてきている。しかも、目を海から空に転じれば、日本列島には人民解放軍の戦闘機が接近するのは常態だ。何と平均して1日2回もの割合で、航空自衛隊がスクランブルをかけざるを得ない状況。加えて、何人もの日本人ビジネスマンがスパイ容疑で中国国内に拘束されたままでいる。
2022年12月に作成された新たな国家安全保障戦略が明記するとおり、中国の外交姿勢と軍事力増強は日本にとって最大の戦略的挑戦なのだ。
「悪魔の誘いか」と思った
にもかかわらず、くだんの豪州外交官は「日本の方がうまくやっている」と言う。同時に、これからキャンベラに赴任する新任の大使を相手にしての問いかけなので、何かを期待しての「悪魔の誘いか」と思った。その後、豪州赴任後にも、何人もの豪州人から同じ質問を受ける端緒となった。
どういうことなのか?
このような発言の背景には、幾つかの要因がある。
ひとつは、豪州が過去数年間にわたって晒されてきた中国による経済的威圧が、異様なほど広範で厳しいことだ。2010年の日本に対するレア・アースの輸出制限に始まって、ノルウェーのサーモン、フィリピンのバナナ、カナダのカノーラ(菜種)、韓国への団体観光客等、中国の不当な経済的威圧によって貿易や往来が制限されてきた「狙い撃ち」事例には事欠かない。しかしながら、今般のオーストラリアほど、様々な品目にわたって、しかも長期間、貿易制限措置に晒されてきた国はない。その苛烈さに、南半球にあって戦略的競争に慣れてこなかった豪州人が戸惑うのも無理はなかった。
もうひとつは、5Gからのファーウェイ(中国華為技術)社排除の推進、コロナ禍の原因の国際調査要求など、豪州のスコット・モリソン政権(当時)が対中強硬姿勢を声高に宣明したことに対しての批判が豪州国内にはある。特に、外交当局関係者や労働党関係者の間では、そうした批判が根強い。「メガホン外交は豪州の国益に資さない」との主張が典型例である。