十分に回復する前の状態で、行うのは逆効果・危険
うつ状態に入ると精神運動障害が顕著になって、なにをいわれても無表情・無反応になり、鉛様の麻痺が生じて完全に寝たきりになることもあります。これがいわゆる「うつで意欲が低下した」状態ですが、しかし、そういう患者は脳内でも思考が停止して、まったくなにも考えていないのかというと、必ずしもそうではありません。
これは双極性障害の抑うつ気分にかんする記述ですが、「あるべき意欲がないというものではなく、[むしろ]普段あるはずのない、筆舌に尽くしがたいうっとうしい気持ちが襲ってくる」「辛い気分が、まるで永遠に続くかのように感じられる状態(33)」 ――つまりネガティヴで回復をさまたげる、考えても無益なことばかりを、異様なほどの速度で考えつづけていたりするのです。
私のばあいでいうと、「文章も書けない、会話もできない。こんな自分が大学に勤めつづけられるわけがない」→「では辞めようか。しかし研究者以外の職歴がない自分を、どんな会社も雇うはずがない」→「『ツレがうつになりまして。』*の人は、漫画家の奥さんがいたから助かっただけだ。独身の自分を助けてくれる人なんていない」→「そんな生き方をしているなんて恥だ。死んだほうがましだ」→「でも死にそこなったらどうする。大学教員の自殺未遂なら、新聞沙汰(ざた)になるかもしれない。もっと周囲の迷惑になる」→「だったら生きつづけるしかないが、できる仕事がない……」といった、出口のない悪循環に落ちていくばかりの時期が、半年近くつづきました。
私を担当してくれた臨床心理士は「思考のぐるぐる」とよんでいましたが、それにストップをかけるうえで、「自分の思考のクセ」を把握し、修正していく認知療法は有益です。
しかしその利用にあたっては、次のことに注意を払うことが必須です。
認知療法は、患者自身の「思考のクセ=認知のゆがみ」に問題を見出し、介入していく治療法です。そのため「要は、おまえがネクラなのが悪いんじゃないか。やっぱり性格の問題じゃないか」といった、発病の責任をすべて本人に帰する非難のしかたと、あっさり結合してしまう危険性も高いのです。(34)
そういう弊害を避けるためには、治療者と十分な信頼関係があるとか、病気の悩みを共有してくれる仲間が多数いるといった、時間をかけて整えなくてはえられない環境が必要です。
うつ状態の人の思考が循環してしまう理由として、病気の症状としてのさまざまな妄想――「病気になったのは自分が許されない罪を犯したせいだ」といった罪業(ざいごう)妄想や、「仕事をやめたら即座に無一文になって飢(う)え死んでしまう」とする貧困妄想、「他の人がなおっても自分だけは絶対になおらない」と思いこむ心気(しんき)妄想に、患者がとらわれることが知られています。(35)
そこから抜けきらない状態のままで、あせって認知療法などを開始したら「ああ、やっぱりそうだ。こういうゆがんだ思考の人間だから、自分は病気になったんだ」という自責感を、極大化させかねません。その先に待っている最悪の帰結は、当然ながら自殺です。
私がCBGTを受けたデイケアでは、認知行動療法は「治療」というよりも「再発防止」の手段として位置づけられており、希望者にたいしても「受講可能な段階まで回復したこと」を確認できるまで、待たせるスタンスでした。
私自身、認知療法を通じてえたものは大きかったと思うだけに、あたかも「だれでも、いつでも、やればかならず効果の出る特効薬」のように誇張されたイメージが広がるのは(36)、うつ病関係者にとってむしろ不幸なことだと感じています。
*ツレがうつになりまして。
うつ病を発症した夫との療養生活を描いた、2006年刊行の細川貂々(てんてん)氏のマンガ。11年の映画版もすぐれた作品であり、うつ病の知識の啓発に多大な役割をはたしたが、主人公(ツレ)の人物像がメランコリー親和型(誤解6)へと大きく変更されていた点は、過渡期ゆえの配慮として見なくてはならないかもしれない。
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(32)しばしば誤解されますが、これは自己啓発セミナーなどで行われる「ポジティヴ・シンキング」とは違います。あくまで「ほかの見方〈も〉できないか」を検討するもので、「だからお前はダメなんだ、なおりたいならこう考えろ」ではありません。大野裕『はじめての認知療法』講談社現代新書、2011年、33〜34頁。
(33)加藤忠史『双極性障害 躁うつ病への対処と治療』ちくま新書、2009年、25〜26頁。
(34)北中淳子『うつの医療人類学』日本評論社、2014年、209頁。
(35)加藤忠史『双極性障害 躁うつ病への対処と治療』ちくま新書、2009年、28~30頁。
(36)現在は「ひとりでもできる認知療法」のように銘打って、PDFなどの形で関連資料を掲載するウェブサイトも多数あります。作成者の善意を疑うものではありませんが、本文に記した理由で、弊害のほうが大きいのではないかと懸念せざるをえません。
與那覇 潤(よなは・じゅん)
1979年生。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程をへて、2007年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとる。博士(学術)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫、近刊)。その他の著作に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)など。
「うつ」に関する10の誤解 1・2
http://bunshun.jp/articles/-/6930
「うつ」に関する10の誤解 3・4
http://bunshun.jp/articles/-/6929
「うつ」に関する10の誤解 5・6
http://bunshun.jp/articles/-/6932
「うつ」に関する10の誤解 7・8
http://bunshun.jp/articles/-/6933
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