1ページ目から読む
2/4ページ目

映画仲間たちが夜、集まっても……母・樹木希林の“教育方針”

小泉 それまでも樹木さんとよくお喋りしていたんですか?

内田 母は忙しかったからあまり一緒にはいられなかったんだけど、ドラマやコマーシャルの海外ロケがあると、1週間でも10日でも学校を休ませて連れて行くんですよ。

小泉 そういえば、樹木さんと也哉ちゃんがエジプトを旅する番組を観たことがありますよ。也哉ちゃんはまだ小学生でしたね。

ADVERTISEMENT

内田 このときも母のドキュメンタリー番組の撮影について行って、結果的に私も一緒に番組に出てしまったんです。ピラミッドやスフィンクス、博物館も回ったけど、母の希望で現地の裕福な家、中流家庭、そして水道も電気もない洞穴のような家も見て回ったんです。

 道を一本隔てて、モノが溢れた暮らしと何も持てない暮らしがある。それがどういうことか生涯かけて考えなさい、と言われました。このように母はメッセージだけ授けて、あとは詳しくは説明しないんですよ。

 

小泉 なぞなぞをかけられたのね。『BLANK PAGE』も『会見記』(リトル・モア)も也哉ちゃんが綴る言葉は、日本語をすごくきれいに組み立てて、唯一無二の文章になっている。その文章力は樹木さんとたくさんお話しして磨かれたのかなと思ったの。

内田 母は日中は仕事でいなかったけど、夜はよく映画仲間から素人さんまでいろいろな人を家に呼んでご飯を食べていました。そんなときにうれしかったのは、「もう遅いからお部屋で寝なさい」ではなく、大人たちがちょっとお酒を飲みながら喋っているすぐ近くのソファで寝かせてくれたことです。「いろいろな人がいるから、よく見ておくように」と言われていたんです。

 私は寝ながら、ああ、またあの人が怒っているなとか、泣いているなとか、何ともし難い気持ちを抱えている大人たちの様子を観察していました。

小泉 なるほど。也哉ちゃんがいろいろな人と会って書いた本は対談集ではなく、その人と過ごした時間を後から反芻して物語にしていったものですよね。いまお話を伺って、也哉ちゃんの文章が醸し出すのは、ソファで寝ていたときと同じ空気感なのかもしれないと思った。