3月下席から抜てきで真打ちとなる落語家の林家つる子さん。3月13日には東京・丸の内の東京會舘で、「真打昇進披露宴」が行われ、約700人もの関係者がその門出を祝った。
芸に精進する一方で、つる子さんはこの数年、両親の看病で大変だった。締めの挨拶では涙ながらにこう述べた。
「噺家としての道を応援してくれていた父が一昨年他界しまして、母は病に伏して、それでも今日来てくれました。父も最後までずっと『落語家としての仕事を優先してほしい』と言ってくれておりました。その父と母の言葉、そして今日お越し頂いているお客様の『いつも楽しみにしているよ』と言ってくださる言葉、その言葉がなによりの励みとなっております。本当にみなさんの応援で私はいまここに立っていると思います。これから高座で、みなさんにたくさんの恩返しを、『つる子の恩返し』をさせていただきます」
真打昇進を記念して、「文藝春秋」2022年6月号に掲載された巻頭随筆「おかみさんはなぜダメ亭主に惚れたか」を特別公開します。
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「芝浜」という噺がある。夫婦の情愛が描かれており、現代においても人気のある人情噺の名作だ。私も芝浜が好きで、聞きながら涙を流したこともある。しかし、何度も聞いているうちに腑に落ちないある感情が沸き上がってきた。
このおかみさん、可憐で、健気で、夫にとって都合がよすぎないか?
吉原に通い続ける夫を許せる?
落語の主人公は、ほとんどが男性だ。落語の作者は男性で、落語の歴史は男性が作り上げてきた。中には、女性が主人公の噺もあるが、それもあくまで男性が描いた女性像である。「子は鎹(かすがい)」という噺では、家にもろくに帰らず酒を飲み、吉原に通い続ける大工の熊さんが主人公だが、一度はおかみさんと別れたものの、改心した後、子どもをきっかけによりを戻す結末となっている。
ハッピーエンドに描かれているが、よくよくおかみさんの立場から考えてみると、いくら子どものためや、当時の時代背景があったとはいえ、この亭主の行いをそう簡単に許せるとは思えない。一体どうして許せたのか。おかみさんの心境が気になるが、そこはほとんど描かれていない。
芝浜もまた亭主である魚屋の勝五郎が主人公のため、やはりおかみさんは描かれていない場面が多い。
私は、子は鎹や芝浜を聞くたびに、おかみさんがこう思っていたのではないか、こんな葛藤があったのではないか、と想像を巡らせていた。「いつかおかみさんを主人公にして噺を描いてみたい」。次第にそんな思いが強くなっていった。