また、私の小説のアクションシーンは非常に強烈であり、激しい暴力を伴う場合があります。ただ単に、読者を興奮させる目的で暴力を描くことはありません。私が暴力を描く時には、物語に対して、あるいはキャラクターに対して必ず意味を持つものとして書くよう心がけています。
というのも、暴力は”痛みの告白”でもあると思うんです。誰かに傷付けられた、何かをきっかけにして傷付いた人々が、その痛みを暴力というかたちで表現しているというふうに私は思っているんです。暴力は(避けるべきものではなく)創作活動において、誠実に取り組むべきモチーフだと考えています。
現代的な要素を入れることで新しいノワール小説に
白人男性であるバディ・リーの人種差別的価値観は、黒人のアイクが長年苦しめられてきたものだ。そんなアイク自身も息子の性的指向を受け入れられず、汚い言葉を放って拒絶した過去がある。彼が流す哀しみの涙には、悔恨も混じる。〈涙が流れて頬を焼いた。(中略)これまでの自分たちと、みなが失ったものを思っての涙だった。どの一滴もカミソリの刃のように顔を切り刻んだ〉(加賀山卓朗訳)。
加賀山は前著『黒き荒野の果て』の訳者あとがきで、同作がアメリカの文学シーンにおいて鮮烈な印象を与えた理由は、「“古い革袋に新しい葡萄酒”を入れたこと」にあると記した。本作でも、同様のアプローチがなされていると言う。「親が殺された子供たちの敵かた討きうちをする、というプロットは古典的なものだと思うんです。しかし、この種の物語では悪人や脇役に据えられることがほとんどだった黒人を主人公に据え、人種差別の問題を当事者の視点から描き、さらにはLGBTQといった現代的な要素を入れることで、新しいノワール小説となっている」。
モニターの向こう側のコスビーは大きく頷いた。
いわゆる古典的とされる犯罪小説が好きで読んではいたのですが、そうした小説の中に、私のような人間や私の周りにいるような人たちは描かれていなかったんです。そこで私は、伝統的な犯罪小説から大枠のアイデアだけをもらって、リ・イマジネーション、再解釈、再翻訳しながら書く、という作業をしていこうと考えました。