例えば『黒き荒野の果て』では、物語自体は「かつて悪いことをしていた人がいい人になって、また悪い方に引き戻される」という非常に古典的な設定ではあるんですけれども、そこに私自身の実際の経験や、私が見聞きしてきた現実を入れて書きました。『頬に哀しみを刻め』の時も同様に取り組みました。「親が殺された子供たちの敵討ちをする」という大筋の中に、LGBTQの方々への差別の問題や、私の身近に暮らす人々を取り巻くさまざまな社会問題と、それにまつわる対話をたくさん盛り込んでいったんです。
保安官を主人公として書いた理由
2023年6月にアメリカで刊行された新作『すべての罪は血を流す(原題:All the Sinners Bleed)』は、日本版が今年5月17日に加賀山の訳で刊行予定となっている。FBI捜査官を引退した主人公が故郷の町に戻り、その地で初めての黒人保安官となるストーリーだ。「これまでの主人公の多くは、前科者など何かしら”悪”の側に立つ人たちを据えていて、それがサザン・ノワールと呼ばれるゆえんでもありました。今回は大枠としてはオーソドックスな警察の捜査を描いており、主人公は正しい側、言い換えれば”善”の側にある」、と加賀山は過去作との違いに言及する。なぜ悪から善へと向かったのだろうか?
私が保安官を主人公として書いた理由は、試してみたかったことがあったからです。それは、正しいことをするのが、どれほど困難であるかということです。例えば悪の側にいる人、犯罪者やギャングが出てくるような小説であれば、彼らは分かりやすく言えば法律のように、世の中において「正しい」とされることに従って行動をするわけではありません。むしろそれらを無視して行動するわけで、いろいろな意味で書きやすいんです。
ところが、主人公が警察官であれば法的な縛りが当然出てきて、何か行動するうえでも法に則った範囲内のことをしなければいけない。そういった枷(かせ)があることで、自分の生み出すキャラクターがより一層面白いものになるのではないか、それを試してみたかったんです。
本作のテーマは「Integrity(誠実さ、一貫性)」ではないか、と翻訳家は感じたそうだ。その投げかけを、作家は「YES」と受け止めた。