「わたし本当に困ります」
「兄などが折節遊びに来てはからかうのですもの、わたし誠に嫌でございます。なんにも当たらないようにって、あれだけ義兄さまにお願い申しておきましたのに、一等に当たったなんぞって、わたし本当に困ります。あの写真は一等か存じませんが、わたしは一等ではありません」
記事から浮かび上がるヒロ子は口数が少なく控えめな印象。副賞のダイヤモンドを見た瞬間の描写から、やっと若い女性らしさが感じられる。
この時、義兄は夫人をかえりみて「とにかく指輪を拝見させてごらん」と言いつつ、包み紙からケースを取り出してふたを押し開き、「いや、見事な品だ、ご覧」と夫人に示せば、ヒロ子も首を差し伸べて「まあ、大きなダイヤモンド!」と鈴を張ったような目を輝かせた。「ひとつ、はめてごらんになってはどうです」と記者が促すままに、指輪はやがてヒロ子の右の無名指(薬指)にはめられて「赫灼(光り輝く)の光、四筵(満座)を払いぬ」。この日本一の美人の誉れとともに、やがては世界に輝き渡るだろう。
同じ日付の河北新報も第2次審査の結果を2つの面に分けて掲載。2面では第2等の金田ケン子に「河北新報社撰定」の添え書きを付けた。5面の「本社撰定の美人は第二等を占む 仙臺(台)美人は京阪を凌駕(りょうが=ほかのものより優れている)す」の記事では「金田憲子」と漢字表記している。
下野新聞は5面に短い記事と写真。ただ、こちらも見出しでは「土屋信子の當(当)選、日本三美人の第三等」とし、記事と写真説明では「土屋のぶ子」としている。さらに不思議なのは河北、下野とも、第1位の末弘ヒロ子を「末広トメ子」と、江崎が提出したという偽名のまま載せていること。時事新報からの連絡が遅れたのだろうか。
翌6日以降、時事新報は2位・金田ケン子、3位・土屋ノブ子の写真と本人、親族の談話などを掲載。河北も6日紙面で金田ケン子の写真、経歴を大きく紹介した。時事新報は3月12日からは審査委員による「美人審査に就て」という記事を載せた。
第1回の三宅秀は医学者の立場から、「美人の基礎は身体の健康が基礎」としつつ、「本当は、写真だけでなく実地に接しなければ正確な審査はできない」と指摘。以後、それぞれの立場から審査についての考え方や経過を述べた。
コンテストに“タイアップした?”広告も
その間、新聞の「三美人」写真付録や「美人写真帖」出版の案内を繰り返し載せたほか、3月21日付東朝紙面にも広告を打つなど積極的に攻勢を仕掛けた。3月22日の紙面では「美人中最も高尚にして素顔の美しきをもって有名なる東京婦人は益々クラブ洗粉を愛用せられつつあり」という、コンテストに便乗した広告も。いまでいう“タイアップ広告”だったようだ。
そんな中、隠れていた事態の進行を報じたのは3月22日付東日の記事だった。