義兄はヒロ子の写真を「物好きな気持ち」から「美人写真コンテスト」に送り、ヒロ子本人は「嫌だ」と泣いていたのだと語っている。義兄の話が続く。
昨年の10月、御社で美人の写真を募集するということを知って、ついあり合わせの義妹の写真を私から送りました。しかし、競争に加わるという考えは少しもなく、全く私の物好きな気持ちからヒロ子本人はもちろん、妻にも無断で出したのです。そのため名前も「末弘」を「末広」、「ヒロ子」を「トメ子」として住所、年齢などは一切書きませんでした。
送ってしまった後で、本人の承諾を得なかったのがなんとなく気にかかってならないので、実はこうこうだと申しましたところ、ヒロ子は大変困った様子で「そんなことをしては嫌です。ぜひ早く取り戻してください」と泣いて騒ぐのです。
私も一時当惑しましたが、さて、出したものをいまさら取り戻すといっても返してはくれないだろう。「もし、新聞に載せるようなことがあったら、その時は匿名にするように」と書いておいたから、決して名前が出る気遣いはない。名前さえ出なければ、人にも「これはおまえだ」と分かるはずがないと慰めていたのです。ところが、その匿名を求める断り書きは、写真に直接ではなく包んだ紙に書いただけでしたから、御社にも手違いがあったとみえて、写真とともに名前も出てしまいました。
すると、ヒロ子が行っている学校で、友達から「きょうの時事新報にあなたの写真が出ていますよ」と言われたので、ヒロ子は「いいえ、私ではありません」と答えて紛らわせていた。ところが、その翌日、友達はわざわざ時事新報を切り抜いて持ってきて「これでもあなたじゃなくって?」と詰め寄られたそうです。
「いいえ、私ではありません。第一名前が違うじゃありませんか」と、その時もようやく言い抜けはしたそうですが、なんとなく恥ずかしかったとみえ、帰宅後「あしたからはもう学校へは行かない」などと申しますので、「そんな馬鹿なことを言うものではない」と叱ったものです。
先ほどあなたから電話があったことをヒロ子にもちょっと伝えましたところ「それは大変だ。もし万が一、3等にでも入ろうものなら、また学校が蒼蝿(うるさ)いから、どうかしてそんなことのないようにしてもらいたい」と再三私に迫っていたのです。
義兄は写真家だった!
ジャズピアニストの山下洋輔氏はヒロ子の長姉の孫で、大叔母のことを『ドバラダ乱入帖』(1993年)という本につづっている。それによれば、この義兄は江崎清という写真家だった。時事新報に載った美人写真の契約写真館の中には「江崎寫眞館 (東京)浅草区浅草公園」がある。
つまり、ヒロ子の義兄・江崎清は「美人写真コンテスト」に賛同した契約写真店の関係者である可能性が高い。ヒロ子が応募を知らずに後で取り消しを求めたのは事実としても、義兄は「物好きな気持ち」からなどではなく、企画の内容と自分の仕事との関係を熟知したうえでヒロ子の写真を撮影、応募した「確信犯」だったと考えられる。
時事新報の同じ紙面にはヒロ子の姉で江崎清の妻テイ子の談話もある。テイ子の談話からは、コンテスト当時の末弘ヒロ子は数えでは16歳だが、満年齢ではまだ14歳だったことが分かる。