アレジとの出会いは1993年10月のF1日本グランプリで、まもなくして交際が始まったという。二人の関係はそれから1年あまりのちに女性週刊誌で報じられて発覚したが、当初のマスコミの反応は、相手がトップレーサーだけに半信半疑という感じであった。しかし、後藤は本気であった。1995年には彼との交際を公表する。
ちょうどそのころ、映画『男はつらいよ 寅次郎紅の花』の撮影中、照明待ちをしていると監督の山田洋次がなぜか英語で“I have a question for you.”と話しかけてきた。「はい、なんですか」と後藤が受けると、「あなたは、このあとどうするんですか」と訊かれる。これに彼女は「どうしようかと思っています。監督はどう思いますか?」と逆に訊き返した。すると監督は「やっと蕾(つぼみ)になったところで、なんだか惜しいなと思っている」というようなことを言ったという(『パピルス』2005年12月号)。
「結婚には別に興味ないんですよ」
彼女は監督の言葉に少し引っかかりを覚えながらも、それでも自分の決断を信じようと思い、芸能界から事実上引退した。アレジとは婚姻届は出さず、事実婚であった。交際を発表直後のインタビューでは、《結婚には別に興味ないんですよ、今》と語る一方、子供については《私にしてみれば別なんですよ。別に結婚が子供をつくるわけじゃない》、《愛し合うことが子供をつくるんであって、紙にサインしたからといって、子供ができるわけじゃないじゃないですか》と語っていた(『週刊文春』1995年6月1日号)。
22歳になった1996年、第一子である長女・エレナを授かったのを機に、アレジの母国であるフランスに渡り、一緒に生活を始めた。それまでの人気やキャリアを振り切っての決断は人々を驚かせたが、彼女としてみれば《感覚としては学業を続けるか続けないかで迷ったときと同じくらいで一大決心をしたつもりもなく『いつでも戻れる』という気持ちがありました》という(『Numéro TOKYO』2020年2月号)。
別のところでは、あのまま仕事を続けていたら《自分の現実の人生ではない、別の人の人生を演じることが面白くなっていたかもしれない》と想像しつつ、《でも、そうすると自分の人生は空っぽになっていたかもしれない。私は、軽く、器用にこなせないタイプで、性格が現実的なんです。やっぱり虚構の生活より、自分の現実の人生を重視して生きたかった。それがジャンと生きることを選んだ理由だと思う》とも語っている(前掲、『ゴクミ』)。
フランスでのセレブな生活
家族との海外での暮らしぶりは、折に触れて雑誌で紹介された。それはまさにセレブリティの生活を絵に描いたようであった。しかし、フランス・アビニョンの別荘に取材スタッフを招いたときには、後藤自ら全員にワインや手料理を振る舞うなど、そこにおごりはまったく感じられない。本人はそんなセレブな生活について、《もともとハイレベルなものに対して、驚くタイプじゃないのね。だってそれは私にとって重要なことではないから。もっとほかに大切なことがあると思うから。今はたまたまこういう暮らしになっただけです》と、客観的にとらえていた(『パピルス』前掲号)。