1996年にスタートした「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)に、放送作家として伴走してきた鈴木おさむ氏。「新しい地図」の3人によるネット番組に出演した際に、稲垣吾郎さんが「同じメンバーみたいな感じだった」とふりかえるほどSMAPと長い時間を共に過ごし、深い信頼関係を築いてきた。このたび上梓した新刊『もう明日が待っている』(文藝春秋)では、国民的グループの知られざる物語が描かれている。

 メンバーの脱退、まさかの結婚、誰にも言えなかった苦悩と闘い。トップアイドルとして沢山の夢を与えてきた彼らの全てが、たった一夜の「放送」で壊れていった。ここでは特別に本書を一部抜粋して紹介する。1996年、グループの人気が高まるなかで突然、メンバーの脱退が発表された。その裏側で何が起きていたのか。(全2回の1回目/続きを読む)

鈴木おさむ氏は3月31日で放送作家を引退すると表明 ©文藝春秋

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タクヤとの出会い

 1994年12月。

 放送作家としてAMのラジオ局で修業を積んでいた僕は、大人たちに認められたくてがむしゃらに食らいついていった結果、ラジオ局で沢山の仕事をもらえるようになっていた。

 そんな僕に、FM局での仕事のオファーがきた。初めてのFM番組のレギュラーの仕事だ。

 それは、あのアイドルの仕事。ドラマでも人気が出始めていた、6人の中の1人のメンバーの番組を作るという仕事だった。

 千鳥ヶ淵の横にあるビルの一番上のスタジオ。

 スタジオに入ると、既に彼は到着していて、窓枠に肘をかけて立ちながら台本を読んでいた。

 窓から差し込む光が、彼を囲んでいて。

 彼は「こんちは」と言って名前を名乗った。

 僕と同じ年。1972年生まれ。同学年。

 僕が同じ年だと知ると、彼は「タクヤって呼んで」と言った。

アイドル像を破壊していった

 アイドルだからこそナメられたらいけないと勝手に思い込んでいた自分は、最初にかましてやらなきゃ! とイタい使命感のようなものを抱いていた。だから初対面の彼に向かって、いきなり、彼らが出演していたとあるバラエティー番組のことを話し、「俺、あの番組嫌いなんだよね」と言った。

 すると、タクヤは笑いながら。

「俺も」

 そう言って手を差し出してきた。

 僕はその手を強く握った。

 22歳同士。同学年のタクヤのラジオは「ワッツアップ」という挨拶で始まり終わる、まさにアイドル像を破壊していく番組だった。

 彼と同学年の人が話すようなことはすべて話す番組にしたかったし、彼もそれに乗っかり、まんまと飛び越えていった。

 アイドルが恋愛の話なんてしないのが当たり前だった時代に、恋愛経験から、付き合っていた彼女の話まで、「自然」に、やんちゃに話した。