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 カントリー娘。は2006年9月に初めて単独コンサートを開いた。すでに二人の引退は決まっていたが、この時点では発表はしないまま最初で最後のコンサートにのぞむ。ステージに一歩出て行った瞬間、メンバーそろって感極まって泣いてしまった。それでもほかの二人とは違い、芸能界に残ると決めた里田にとっては始まりでもあり、「次に行くステップ」となったコンサートであった。なお、カントリー娘。はその後も里田ひとりをメンバーとして存続し、2014年には彼女がスーパーバイザーに就任し、新たなメンバーを入れて「カントリー・ガールズ」と改称のうえ再始動したものの、2019年に活動休止している。

 里田が個人でテレビ番組に出演し始めたのは、上記の単独コンサートの少し前からだった。ドラマのオーディションにはあっさり落ち、バラエティ番組のオーディションをラストチャンスと思っていくつか受けた。そのうちのひとつがフジテレビ系の『クイズ!ヘキサゴンⅡ』であった。同番組の話を持ちかけられたのは、都バスに乗っていたときだった。マネージャーから「『ヘキサゴン』出たい?」と訊かれて「うん」と答えると、その瞬間、ドアが閉まってバスが動き始めたという。まるで里田の新たな出発を予兆したかのようだ。

2007年、スザンヌと木下優樹菜と「Pabo」を結成し、『恋のヘキサゴン』でデビュー

「おバカタレント」としてブレイクした瞬間

 2006年7月の『ヘキサゴンⅡ』初出演時、予選ペーパーテストで「1903年、人類初の動力飛行に成功したアメリカの兄弟は何兄弟でしょう?」という問題があり、里田は「ライト兄弟」と答えるべきところをなぜか人数を訊かれていると勘違いして「3兄弟」と書いた。これをすかさず司会の島田紳助が指摘し、「すばらしい。久しぶりに来ました本格派です」と言わしめる(『里田まいのおバカ伝説』竹書房、2007年)。

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 里田としては次も番組に呼ばれるため無我夢中で、いつも収録には「これが最後のテレビ出演!!」という気持ちでのぞんでいた。それだけに『ヘキサゴンⅡ』の最初の収録後、紳助から「また来てくださいね」と言われ、最高にうれしかったという。

 紳助の言葉どおり『ヘキサゴンⅡ』にはその後も呼ばれ、やがてレギュラーとして定着、ほかの出演者と競い合うように珍解答を繰り返す。気づけば、世間は里田を「おバカタレント」として認識するようになっていた。番組の人気が高まるにしたがい、レギュラー陣は「ヘキサゴンファミリー」と呼ばれ、音楽活動も行うようになる。

 2007年、里田はスザンヌと木下優樹菜と「Pabo」というユニットを結成し、シングル「恋のヘキサゴン」でデビュー、翌年には同じく番組発のユニット「羞恥心」とともに紅白歌合戦にも出場した。紅白にはカントリー娘。の3人で演歌歌手のバックダンサーとして出たことはあったが、真っ正面から出場できるとは思いもしなかった。出場発表後の『ヘキサゴンⅡ』収録では、紳助から「このなかで一番うれしいって思ってるのは歌手として入ってきた里田だと思う」と図星を指され、涙が出たという。

かばんの中に入っていた「意外な本」

 島田紳助は『ヘキサゴンⅡ』で、レギュラー陣にさまざまな挑戦の機会を与えながらタレントとして養成していこうと考えていたふしがある。2011年に番組が終わるころには、出演者たちが当たり前に正解を出すようになり、もはや「おバカ」ではなくなっていた。