みなさんは「青ヶ島」を知っているだろうか。東京都心から約360km離れ、2024年1月1日時点の人口は156人という「日本一人口の少ない村」だ。
青ヶ島に行くには、八丈島から1日1便9席しかないヘリコプターか、週に5回運航している連絡船を利用する必要がある。その連絡船は、流れの早い黒潮の影響で予定どおりに運航するとは限らない。黒潮に加えて強い西風が吹く冬場の就航率は、5割を切ることも多い。
ただでさえ交通手段が限られているのに、予定通りたどり着ける保証もない。その行きづらさから、青ヶ島は「絶海の孤島」と呼ばれている。
今回は、特に上陸しづらい「冬の青ヶ島」に1週間滞在して、現地を取材した。島外との交通手段が絶たれることもある期間、島の人々はどのように生活をしているのだろうか――。(全3回の1回目/2回目に続く)
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歴史を遡るほど“神秘さ”が増す青ヶ島
「黒潮のまんなかにぽつりと浮かぶこの島が、いつあらわれ人が住むようになったのか、はっきりしたことは分からない」
青ヶ島村の公式ホームページに掲載されている島の歴史は、こんな一文から始まる。それくらい、青ヶ島には未知のことが多い。
過去の資料を紐解くと、海難事故や島流しに関することばかり書かれていたり、鎌倉時代の書物『保元物語』に出てくる鬼の子孫が住む「鬼島」は、青ヶ島のことらしいと書かれていたりする。歴史を遡れば遡るほど“神秘さ”が増していく。その独特な魅力に惹かれ、「死ぬまでに一度はこの地を訪ねたい」と思う人も少なくないだろう。
「青ヶ島村立図書館」で読んだ島史などによると、1975年頃の青ヶ島には月に数回の定期船しか外部との交通手段がなく、風の強い冬場は3ヶ月以上船が来ないこともあった。
また、常に強い黒潮や風の影響から大型船舶を港に横付けすることが難しかったため、2000年頃まで大型船舶と港の間を行き来する“はしけ”と呼ばれる小舟で、荷物や乗客を運んでいたそうだ。