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幼い鈴芽に椅子を手渡すと…

 常世は鈴芽にとって「凍った時間」の場所だった。しかし鈴芽が幼い鈴芽に椅子を手渡した瞬間、「凍った時間」は解け、「循環する時間」が始まる。ここで観客も「すべての時間が存在する場所」が「静止している場所」だけではないことに気付かされる。常世には、循環という運動の形ですべての時間が流れているのである。こうして常世のイメージが、鈴芽自らの行動によって「静止」から「運動」へと上書きされて映画は幕となる。

 もちろん映画のラストシーンの後、幼い鈴芽が「凍った時間」を胸に抱えながら過ごしたことを観客は知っている。でも、その12年の時間を現在の鈴芽は、ないことにはしなかった。“あの日”の記憶もまた、今の自分の一部であることは間違いないのだ。だからこそ鈴芽は、「凍った時間」の象徴ともいえる3本脚の椅子を、エールの言葉とともに手渡すのだ。

『すずめの戸締まり』公式サイトより

「静止」と「運動」が循環しているということを浮かび上がらせた

 写真家・写真評論家の港千尋は『風景論 変貌する地球と日本の記憶』(中央公論新社)の序章でこう記す。

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「震災直後の被災地で多くの人が感じたのは、流れていた時間の切断であった」「震災後の風景とは、その切断面に現れた何かである。それを総合的に理解するのは容易なことではないが、風景を空間的な概念としてとらえていただけでは見えてこないことは、明らかだろう。この場合の切断面とは、何よりもまず時間的な切断面のことだからである」

 港がいう時間的切断面とは、震災により、ひとつの風景の中にスケールの違う多数の時間(地質学的な時間から始まり人類史の時間、東北の歴史、自治体の歴史等)が流れていることがあらわになるという意味合いである。

 この切断面という言葉を借りるのであれば、『すずめの戸締まり』は、震災による時間の切断を通じて、その切断面から、個人(心の時間)・社会(都市の繁栄と衰退)・大地(地殻の変動)といったスケールの異なるそれぞれのレイヤーで「静止」と「運動」が循環しているということを浮かび上がらせた作品である、ということができる。

【参考文献】
『すずめの戸締まり 美術画集』(KADOKAWA)
『すずめの戸締まり 新海誠絵コンテ集7』(KADOKAWA)
『風景論 変貌する地球と日本の記憶』(中央公論新社/港千尋)