今となっては当然の出来事のように錯覚している人々も多いかもしれないが、2016年の『君の名は。』のヒットは、2010年代のアニメ映画興行を象徴するひとつの事件であった。

 30年ほどのアニメ映画の興行の変遷を駆け足で記すならば、1990年代はスタジオジブリがアニメ映画の興行をリードし、21世紀になってそれが一区切りついた後、10年余りが経ったところで、アニメ映画の興行は次のステージへと足を踏み入れたのである。

映画史上に残る大ヒットとなった『君の名は。』©AMUSE/THE ANSWER STUDIO/COMIX WAVE FILM/EAST JAPAN MARKETING/Album/共同通信イメージズ

 節目は2012年。この年がどういう年かといえば、細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』があり、庵野秀明総監督の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』があり、長峯達也監督の『ONE PIECE FILM Z』があった――と固有名詞を並べれば、おおよその想像がつくのではないだろうか。

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 この年、スタジオジブリ作品が不在でありながら、アニメ映画の興行収入合計が初めて400億円を超えたのである。そしてそれ以降、アニメ映画の興行収入は400億円を下回ったことがなく、多い年では600億円を超えることもある。

 この背景にシネコンの定着、アニメ映画の制作本数の増加といったビジネス状況の変化があることは間違いないが、それをここで論じるのは止めておこう。

 ここでまず目を向けたいのは「スタジオジブリの90年代」「活況の10年代」の間に挟まれたゼロ年代であり、この時期は10年代を担う作り手たち、10年代を牽引するシリーズが力を蓄えていく“助走期間”であったということだ。「10年代の活況」は、ゼロ年代に起きた変化がある閾値を超えた結果として現在につながっているのである。

『君の名は。』前夜に起こっていたこと

 ではゼロ年代がどういう時期だったかを思い出すために、こちらも固有名詞を羅列してみよう。

 2004年に湯浅政明が『マインド・ゲーム』を初監督し、2006年に長編を目標に定めた細田守が『時をかける少女』を発表している。深夜アニメの隆盛の中で、2009年にTVで山田尚子が『けいおん!』で監督デビューを果たしている。2007年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』が、2009年に『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』が公開され、どちらもそれまでよりもはるかに多いファンを巻き込んでのヒットを記録している。

 もちろんこれはそれぞれ独立した事象なのだが、こうした時代の風景の先頭に「2002年、新海誠が『ほしのこえ』でプロデビューを果たす」と置いた時の、ピースがしっかりはまった感じは圧倒的だ。

 しかも新海監督は、自主制作で監督だった人間がそのままプロの長編の現場でも監督として仕事を始めるという非常に稀なケースの先駆けで、これと前後して、彼以外に新たなキャリアパスでプロとして仕事を始める監督が登場するようになる。これも一つの時代の節目といえる。