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「非常に稀な経歴の監督」新海誠が起こした『君の名は。』という事件

 デビュー後、新海監督はコンスタントに作品を発表し、そして2016年晩夏に『君の名は。』が公開される。同作は最終的に250億円を超える興行成績をあげ、現在、日本公開映画興行歴代5位というポジションに収まっている。

 当然ながら「ヒットする」と思った人は多くても、「ここまでヒットする」と考えた人は少なかった。そして、ここまでヒットすると、後続のアニメ映画に大きな影響を及ぼすことになる。これが事件の事件たる所以だ。

 いずれにせよ、新海監督と『君の名は。』はゼロ年代から10年代にかけての、アニメ映画をとりまく状況とその変化を象徴するポジションを占めているのである。

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新海誠監督 ©文藝春秋

新海誠作品の“ベスト盤”として『君の名は。』を観ると…

 では『君の名は。』はどのような作品であったのか。それはまず、様々な過去作の“ベスト盤”――公開時、新海監督もこういう表現で本作の立ち位置を説明していた――という形で、旧来の観客の前に現れた。

「関係性が定まる前に相手を失う」という形で描かれる喪失感は『ほしのこえ』(2002)以来繰り返されているモチーフであることはいうまでもない。その物量とスケジュールに苦しんだ『雲の向こう、約束の場所』(2004)の体験は、新海監督の「長編アニメをいかに制作するか」という根本の部分と深く結びついている。

 また「関係性が定まる前に失った相手」を「再度失うために会いに行く」という構図もここから登場する。『秒速5センチメートル』(2007)でみせた歌と映像をシンクロさせる巧みな編集は、「叙情を醸す技」から「物語をコンパクトに語る技」へと変化しつつ『君の名は。』に受け継がれた。

『星を追う子ども』(2011)は、それまで叙情として描いていた喪失感を、叙事=ストーリーテリングに置き換えて語ろうと試みた作品で、その点で『君の名は。』に繋がる直接的な転機といえる。編集の技の使いどころが変化したのも、ストーリーテリングへの意識が前面化したことの結果と言える。

『言の葉の庭』(2013)は、花澤香菜演じる国語教師のカメオ的続投(設定的には“よく似た別の人”とのこと)で本作と紐付けられる――というのは定番の冗談ではあるが、万葉集の引用や非対称な2人の関係を使った作劇などの関連を見つけることはできる。

 また忘れてはいけないのは、『君の名は。』前半のコメディ演出は『猫の集会』(2007)を想起させるという点だ。NHKのために作られたこのわずか1分の作品は、しっぽをふまれたネコたちが人類に報復を企むという、先行作品のパロディ・シーンも盛り込まれたギャグ作品で、ネコの受難がテンポよく天丼で描かれ笑いを誘う。このギャグの呼吸が、心が入れ替わってしまった男女二人の主人公たちのドタバタの描写につながっている。

『君の名は。』でようやく、『猫の集会』を見たことのある人間だけの「知られざる新海誠」の側面が広く世間の知るところとなったのである。