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瀧視点と三葉視点で変わるストーリー

 公開直後に雑誌連載でこの指摘をしたが(当該原稿は単行本『ぼくらがアニメを見る理由』所収)、後にBlu-rayが出て、この読解がはずしていなかったことがわかった。

 特典ディスクに収録された講演(※)の中で、新海監督は『君の名は。』の構造に言及。それによると『君の名は。』は「夢で出会った少年少女がやがて現実で出会う」というログライン(要約)でできているが、同時に「隠されたログライン」があり、そちらは「夢のお告げを受けた少女が、人々を災害から救う」というものだと解説しているのである。

 本作は瀧のモノローグとともに、瀧の視点で入れ替わりが描かれるところから始まるが、実は序幕の大半は三葉の視点で進行する。これによって観客は、表のログラインと同時に三葉のログラインを追いかけることになる。

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『君の名は。』予告

 瀧視点では「過去に起きた災害をなかったことにする」というストーリーに見える『君の名は。』だが、三葉の物語だと考えればこれは災害の当事者として彼女が、未来の力を借りつつ「未来の可能性」をつかもうとする戦いを描いたストーリーとなる。

 こうしてみると終盤、瀧が中に入った三葉が、自分の父である町長に、住民の避難を頼みに行くが、うまくいかなかったという展開に意味があることがわかる。住民を救うことは、三葉自身が「当事者」として達成しなくてはならないことだからだ。それは瀧には許されず、三葉は自分自身でそれをやり遂げる。

瀧は単なるサブキャラクターなのか?

 では瀧というのは、主人公のように見えるサブキャラクターに過ぎないのかといえば、そんなことはない。最初から三葉の視点でのみ描けば、「歴史の改変」といった批判を受けなかったであろう要素がなぜ入っているのか。

 それは瀧が「忘却」と「第三者がもし偶然当事者になったら」というもうひとつのドラマを描くために必要な人物だったからだ。『君の名は。』にもうひとつ「隠されたログライン」があるとしたら、それは「入れ替わりによって、自分が関係ないと思っていた災害の当事者になり、世界の見え方が変わる」という瀧に関するもののはずだ。

 3年前、1200年ぶりに起きた「彗星のかけらの落下」という天災。そこで死んだ人たちがいた。そういう過去の出来事をすっかり忘れた人間として瀧は本編に登場している。しかし瀧は、三葉の入れ替わりの相手に“偶然”選ばれたことで、災害の当事者となってしまうのだ。ここで三葉の入れ替わりとなったのが偶然ということは、「誰でも当事者になるかもしれない」という意味合いを帯びている。

 瀧が当事者という意識をちゃんと持った時、既に災害は起きた後であった。この無力感。すべてが終わった後に彼にできることは「忘却に抗うこと」だけなのである。