小説なら無関心な人にも届けられる
みんなが見えていないところを伝えて別の可能背や選択肢を示す――この能力をどう活かしていけばよいか、どのように伸ばしていこうかと考えていた時期に、ミステリーを読み始め、なかでも「アルセーヌ・ルパン」シリーズや、アガサ・クリスティーの作品に夢中になりました。
そして、小説でなら自分の才能を活かせるかもしれないと思ったんです。自分が社会に対して抱く疑問や、多様な視点を小説に織り込めば、多くの人に伝えられるんじゃないか。
難しい話は誰も聞きません。でも、エンタメ小説なら、無関心な人にも届くんじゃないか。私自身の体験ですが、ルパンを読んで、全く関心のなかったガス灯や辻馬車、舞台となっている19世紀のフランスの貴族の生活を知りました。ルパンは泥棒なのに正義の味方という設定に、「警察は常に善なのか」と世の中の常識を疑うようになりました。
他の人と異なる視点や価値観で物事を見るためには、「正しいことを疑う」という姿勢が必要です。『疑う力』でも書きましたが、この姿勢は訓練すれば誰でも身につけられるものです。
小説を執筆するときには、膨大な取材を行います。それを知っている人からは、「なんでノンフィクションとして書かないんですか。回りくどいでしょう」と言われることがあります。
しかし、ノンフィクションは、テーマに関心のある人しか読みません。『ロッキード』のようにロングセラーになる作品は異例です。多くの人に届かないと、世の中は変わりません。
私にとって、小説は世の中を変える道具なんです。小説を通じて、社会で起きている様々な現象に対して問題提起をしたり、別の選択肢を提示したり、警鐘を鳴らそうとしています。
その分、文学性に関しては無頓着で、私の小説には家族の情や恋愛が欠けているといわれることもありますが、日本が滅びそうなときにそれを必死で止めることばかり考える小説家がいてもいいじゃないですか。そこは、一人馬鹿みたいに貫くつもりです。