1978年に『勝手なやつら』でデビュー以来、つねに漫画界の最前線をひた走ってきた高橋留美子。46年におよぶその軌跡をまとめた『高橋留美子原画集 COLORS 1978-2024』が2024年3月29日に発売された。
「るーみっく」ファンの熱烈な支持を集め、発売から1週間で売上1万部を突破。それを記念して、好きなキャラを高橋留美子が直筆で描きおろすサイン色紙キャンペーンも開催される(2024年4月30日まで)など、勢いは増す一方だ。
「週刊文春」2024年4月18日号(4月11日発売)では、この貴重な原画集から選り抜いたカットと担当編集者3名のインタビューを掲載。
「高橋先生の“生の筆致と言葉”を届けたい」――その一心で原画集を作り上げた編集者・森脇健人さん、有藤智文さん、岡本吏莉さんが明かす、制作秘話とは。高橋留美子本人と幾度も議論を重ね、時に埼玉の倉庫まで奔走したという知られざる舞台裏を「文春オンライン」特別バージョンでお届けする。(全4回の1回目)
『うる星』『RINNE』『MAO』の担当が集結
―― 高橋留美子先生のホームといえば『週刊少年サンデー』です。ちょうど昨日(2024年3月13日)発売された号で、創刊65周年を迎えられました。おめでとうございます。
森脇 ありがとうございます!
―― 本号では、高橋先生が連載中の『MAO』に衝撃の展開が……。とある別離と邂逅が描かれ、ますます目が離せません。
岡本 そうですね、いよいよ「第2章」が幕を開けました。ぜひご期待ください。
―― 今回集まっていただいた御三方は、『高橋留美子原画集』の制作者であり、高橋先生の歴代担当編集者でもあります。まずは皆さんの担当作品を教えてください。
有藤 私が担当したのは『うる星やつら』で、1983年の7月に先輩から引き継ぎました。そこから1年ちょっと、コミックスの巻数で言うと19~26巻あたりでしょうか。ラムの後輩のスケ番トリオ、三宅しのぶに恋するキツネや、水乃小路飛鳥が登場した頃です。同時期に『週刊少年サンデー増刊号』に掲載された『人魚は笑わない』などの読み切りも担当しました。
有藤 その後『ビッグコミックオリジナル』編集部に異動になりまして、そちらでも『Pの悲劇』などの読み切りを4~5本描いていただきました。今でいう「高橋留美子劇場」シリーズですね。それから2014年の『鏡が来た』。高橋先生が『ビッグコミックスペリオール』で初めて描いてくださった、思い出深い一作です。
森脇 僕と高橋先生のお付き合いは『境界のRINNE』からです。4代目編集者として2017年に最終回を迎えるまで担当しました。それから読み切り『千年の無心』を経て、新連載の『MAO』を先生と一緒に立ち上げたんです。トータル5年間担当を務めて、岡本に『MAO』を引き継ぎました。
岡本 はい、『MAO』の10巻くらいから担当しています。
森脇 岡本は『犬夜叉』がきっかけで漫画編集者を志したんですよ。
岡本 小学生の頃アメリカの田舎町に住んでいたんですけど、級友に「日本人って虫食べるの?」「裸で過ごすの?」なんて言われて。どんなに反論しても聞く耳を持ってくれなかった彼女が、『犬夜叉』にハマった途端「絶対に日本に移住する!」と言い出したんです。
面白い漫画は、人種の壁も国境も越えて心を動かすんだと衝撃を受けました。私も『犬夜叉』に並ぶくらい、圧倒的な力を持った世界を夢中にさせる作品に携わりたいと思ったんです。