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さらなる真相が明らかに

 その夜、弁護士は相談にのってくれた法医学の教授と銀座のバーで飲んでいた。負け戦を勝利に導いてくれたお礼をかねての祝賀会であった。

 子のない支店長は、愛人との関係から子宝に恵まれたので、うれしくてたまらない。その子を自分の子と信じて疑わなかった。それ故に子の成長を喜び、送金をたやすことはなかったのである。

 裁判が終わり、事実が明らかになった今、その男の子は一体誰の子なのだろう。ミステリーが残った。

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 教授は尋ねた。

 さすがは弁護士さんである。調べはついていた。

 十数年前、支店長と交際が始まる直前まで、彼女は年下の男と交際があった。1ヵ月くらいの間、彼女はこれら二人の男性と関係をもっていたのである。このオーバーラップした1ヵ月の間に、彼女は若い男と別れて支店長を選んだが、そのときすでに彼女は身ごもっていたのである。

 妻以外の女との出会いで、無精子症の自分も子宝に恵まれたことを、この上なく喜んだ支店長は、子を溺愛した。若い男の存在など、知るよしもない。

 彼女もまた、支店長の喜びと愛にはぐくまれ、いつしか年下の男のことを忘れ、支店長との間に生まれた子として、育ててきたのである。

 皮肉にも、裁判が終わってはじめて、子供の父が支店長ではなかったことを知らされる結果になった。祝福されない子を持った女も、また哀れであった。

医学的判断と人情論の間で

 人間社会の乱れた生活の中で、親子の関係を決めるのに、医学的判断を優先するのか、それとも人間としての生き方、人情論で決めるべきなのか。

 無精子症の話とチャップリンの話。この極端な日米の違いを対比させ、もう少しよい知恵はないものかと、私はいつも思うのである。