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「主役を張れない声」言われ続けてアルコールをあおる日々

 子どもの役が来るのに、子どもの声が出せない。そこでTARAKOは「声変わり」しようと模索する。マイクのことは教えてくれても、声のことは誰も教えてくれない。だから自分で研究した。

『うる星やつら』でテンちゃんを演じていたベテラン声優の杉山佳寿子が話すところを凝視したり、子役と大人役を演じ分けていた小山茉美の発声方法を研究したりして、子どもらしい声の出し方を会得していった。すべては研究の賜物だった(TBSラジオ『伊集院光とらじおと』 20年11月23日)。

 それでも「主役を張れない声」だと周囲から言われ続け、収録スタジオに行くのも嫌になった。逃げ道はアルコール。カップ酒をあおってからスタジオに出かけることもあれば、朝まで飲んで泥酔したままイベントに出演したこともあった。当時のあだ名は「ニワトリ」。酒乱のため、何度追い払ってものしかかってくることからつけられたものだ。

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 もう歌も声優も辞めようかと思っていたが、『ザブングル』がきっかけでライブに来るようになったファンたちの手紙に励まされた。自分の歌で元気をもらうファンがいるのだから「うじうじしていられないな」と思ったという。この頃、事務所から「禁酒命令」が出たが、家では隠れて飲み続けていた。

『ちびまる子ちゃん』大ブームと葛藤

『ちびまる子ちゃん』に出演することになった頃のTARAKOさん

『ちびまる子ちゃん』との運命の出会いは91年のこと。またたく間に爆発的なブームとなり、TARAKOも一躍時の人となった。声優のほか、顔出しのバラエティーの仕事も多数こなすようになって、時には点滴を打ちながら仕事をこなした。映画やドラマに出演して、ラブシーンも演じてみせた。

 声の印象が鮮烈だったため、世間から「TARAKO=まる子」と思われるようになった。声のコンプレックスは払拭されたが、今度は強いイメージが足枷になった。当時のインタビューでは違和感をはっきりと口にしている。

「一体化されるのはちょっと。たまたま、まる子が当たっただけで、そのおかげでミュージシャンとしても売れてきたってことはありますけど、同一視されるのはやっぱり抵抗感がありますね」(『キネマ旬報』前出)

 本業は声優ではなくミュージシャンと明言する記事もあった。テレビに登場する際は「シンガーソングライター」という肩書をつけ、どんなに忙しくてもライブと曲作りとレコーディングは欠かさなかった。まる子の声でアルバムを出さないかというオファーを事務所が蹴ったことについて、「うれしかった」と振り返っている(前掲書)。