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「まる子で売れるまでは、ず~っとコンプレックス」「まる子と一体化されるのはちょっと」TARAKOが乗り越えた“弱音”

「まる子で売れるまでは、ず~っとコンプレックス」「まる子と一体化されるのはちょっと」TARAKOが乗り越えた“弱音”

2024/04/21

genre : エンタメ, 芸能

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 相手によって、あるいは相手の反応によって自分の声も感情も変わると考えていたため、その場で台本を見ながら余計なことを考えずにセリフを発していた。監督の高木淳氏は、台本を読まずに現場に入るTARAKOを見て、「まる子になりたかったんじゃないかな」と言う。

「まる子は何もこれから起こることを知らずに生きてるじゃないですか。TARAKOさんもそういうまる子と同じスタンスに立って、役を演じたかった、まる子になりたかったんじゃないかなとも思います」(めざましmedia 24年3月11日)

 それぐらいTARAKOはまる子であり、まる子はTARAKOだった。4月12日、新しいまる子役に声優の菊池こころが決定したと発表された。最初は大変なことが多いと思うが、どのように新しいまる子役を作り上げていくのか楽しみにしたい。

「TARAKO」という芸名にたどり着くまで

 子どもの頃から歌が好きだった。出身は東京都江戸川区。小学生の頃から合唱団に所属し、小学4年生のときには町内のカラオケ大会で桜田淳子の歌を歌うも落選。群馬県太田市に転居して進学した女子高ではフォークソング同好会に入り、ギター片手に山崎ハコ、因幡晃、中島みゆき、かぐや姫などの曲をコピーした。特に憧れていたのが山崎ハコだった。

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 アニメにも傾倒していた。高校では『ルパン三世』に憧れてアニメ同好会を結成。その後、声優になるため上京して専門学校に入った。飲み屋で歌っているところを見ていた、後に所属する音楽事務所の社長に誘われて、友人と一緒にギターの弾き語りでライブに出演するようになる。だが、もともとプロになる気はなく、専門学校を卒業したら群馬に帰るつもりだった。結局、専門学校は中退した。

 TARAKOという風変わりな芸名は、専門学校時代、『サザエさん』のタラちゃんに雰囲気が似ていることからついたあだ名「タラちゃん」から事務所の社長がつけたもの。本人によると、正確には「まる子」と同じように発音するのだという。

1999年のTARAKOさん ©文藝春秋

家賃1万円の3畳1間で…声優デビューと貧乏時代

 声優デビューは『うる星やつら』(81年)。音響監督の斯波重治氏と事務所の社長が知り合いだった縁で、声優以外の人をキャスティングするために行われた主人公・ラム役のオーディションを受けたものの、結果は落選。しかし、独特の声を斯波氏に気に入られて、幼稚園児C役でデビューできた。その後もさまざまな役で登場している。