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人間

 そうした強靱な短篇の各々は、二〇〇五年から〇八年にかけて『オール讀物』に掲載された。本稿では、それらを雑誌掲載順に各篇を紹介するとしよう(本書にはほぼ雑誌掲載順に収録されているが、第五話と第六話の順序が逆である)。池井戸潤という作家の動向も交えながら。

 まずは第一話「十年目のクリスマス」である。この短篇は、『オール讀物』二〇〇五年十二月号に「非常出口」というタイトルで掲載された。

 十年前に火災事故で倒産した神室電機の社長を新宿で見かけた銀行員の永島。なにやら羽振りがよさそうな神室の姿を見て、永島は思った。あのとき一文無しで路頭に迷ったはずの神室に、この十年間で何が起こったのか、と。

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 この短篇では、十年前のドラマ、すなわち危機を迎えた神室電機に融資するか見送るかを巡る永島の葛藤や、一企業の主として従業員や家族に責任を持つ神室の必死さが、永島の回想としてまず語られる。そのうえで、神室の現状を巡る謎を永島が解明しようとする現在の姿が描かれている。この二人の人物を巡る二重構造が、神室という男を描き出す上で極めて効果的に機能している。しかも、現在の神室に全く科白を喋らせずに、だ。池井戸潤の技量のほどが判ろうというものだ。

 そしての永島と神室の物語に、十年前に永島と同じく銀行員として融資について検討した面々の人生や、あるいは神室の娘の人生が織り込まれている。それぞれに存在感を持ってだ。わずか五十ページ足らずですらすらと読める短篇だが、中身は実に濃密である。

 この第一話を雑誌に書いた翌年一月、池井戸潤は『シャイロックの子供たち』という小説を上梓する。二〇〇三年から〇四年にかけて『近代セールス』に第六話までを連載し、その後第十話までを書き下ろしで加筆して完成させた作品だ。『シャイロックの子供たち』は、作家池井戸潤を考えるうえで非常に重要な一作である。なぜならこの作品の執筆途中で彼は、作家がポンと作中に置いた登場人物であっても、それは読者にとっては一人の人であるということを強く意識するようになり、同時に人を描くことの本当の面白さに気付いたからである。その『シャイロックの子供たち』の刊行直前に書かれたこの第一話、個々の登場人物がしっかりと語られているのも宜なるかな。短篇としての決着のさせ方も、神室の謎の解明で終わらせるのではなく、やはり人を重視した終わらせ方となっている。その点にも注目したい。

 第二話「セールストーク」は、ある印刷会社に融資見送りを言い渡した銀行員の北村を視点人物として、引導を渡されたに等しい印刷会社社長・小島の“奮闘”が描かれる。『オール讀物』二〇〇六年七月号に掲載された。

 北村の銀行からの融資は得られなかったものの、小島はなんとか五〇〇〇万円の融資を別口から取り付け、危機を乗り越えた。その別口融資は、他の銀行ではなく、個人からのものだという。一体誰が? そしてこの個人融資を巡って、北村の周囲もざわつき始める……。

 こうした個人融資の謎の解明に、銀行の与信検査というイベントを重ねて実にスリリングなクライマックスを演出する池井戸潤。いやはや巧い。そしてもちろん巧いだけではない。狡い人物や底の浅い人物をきっちりと描き、また、真っ当な考えを持って行動する銀行員もきっちりと描いている。特に、北村とともに行動する入行二年目の若手江藤がよい。彼の今後の成長が愉しみである──小説の脇役だが、ついついそう思ってしまう。

©beauty_boxイメージマート

「セールストーク」を『オール讀物』に発表したころ、彼が『月刊J-novel』に連載していたのが『空飛ぶタイヤ』である。大型トレーラーから脱落したタイヤが母子を直撃し、母親が死亡するという事故を起こしてしまった運送会社の社長と、リコール隠しを行った大手自動車メーカーとの対決を描いた長篇である。これはまさしく『シャイロックの子供たち』以降の池井戸長篇と呼ぶべき作品で、運送会社の面々や彼が訪ね歩く人々、あるいは大手自動車メーカー側で自社防衛に走る社員達などが、それぞれくっきりと造形されており、そのなかでリコール隠しを巡る骨太な物語が進行していくのだ。二〇〇六年九月に単行本として刊行されたこの作品が、第二八回吉川英治文学新人賞及び第一三六回直木賞の候補として高く評価されたのも当然といえよう(受賞に至らなかったのがむしろ不思議だ)。

『空飛ぶタイヤ』刊行に続くタイミングで『オール讀物』二〇〇六年十一月号に掲載されたのが第三話「手形の行方」だ(雑誌掲載時は「手形」というタイトル)。

 ミュージシャン志望で、銀行員はデビューまでの腰掛けという不遜な態度を取りつつ、ときおり大口の案件を獲得してくる若手銀行員の堀田。彼が一〇〇〇万円の手形を紛失するという事件が起きた。彼を監督する立場の伊丹は、手形の発見に尽力する一方で、手形を堀田に渡した社長や手形の振出人との調整にも奮闘する。ふてくされたような態度をとり続ける堀田とともに。

 伊丹はやがてこの事件の真相を探り出す。その真相は、この紛失事件に関与した人々の胸の内を照射し、そして伊丹には(あるいは読者には)見えていなかった実像を見せることになるのだ。モノトーンの幕切れが、生々しくも誠実な一篇である。

 第四話「芥のごとく」は『オール讀物』二〇〇七年三月号に掲載された作品。大阪で二十年近くも鉄鋼商社を営み続けてきた豪傑女社長の土屋。だが、平成に入って彼女の会社も苦しくなってきていた。入社二年目の山田は、そんな土屋の会社を支えようと頑張るのだが……。

 神風が吹くわけでもない現実をきっちりと見据えた小説であり、その現実のなかでなんとか会社を存続させようともがく女社長の必死さが、また、土屋の会社を支えようとする山田の必死さが、読む者の胸を強く打つ。彼等の奮闘とその結末が、土屋の姪の人生に与えた影響も深く読者の心に残る。

 この短篇はまた、平成の始まりというよりは、まだまだ昭和の終わりの余韻に包まれた年代背景と絶妙に共鳴している。「芥のごとく」という題名と、作中に登場する美空ひばりの『川の流れのように』もどこかしら響き合っているようだ。