大企業と中小企業の対決という『空飛ぶタイヤ』でおなじみの構図でスタートする『下町ロケット』。今回は大企業が財力にものをいわせ、ロケットエンジンに関する技術を持つ佃製作所を、特許訴訟を通じて牛耳ろうとするのである。この構図に加えて、『下町ロケット』ではもう一つの大企業が別の思惑で絡んでくる。この三つ巴の争いのなかで佃製作所内部の足並みも乱れ始める。二代目社長である佃航平──元宇宙科学開発機構の技術者というキャリアの男だ──が、この難局に立ち向かう……。
何度でも繰り返すが、いい小説である。大企業との闘いの迫力や、佃製作所の面々の技術者としての誇りと意地が、読者の心をがっちりとつかまえる。敵役という位置付けの大企業側の面々がそれぞれに現実を直視して動いている点もまた魅力だ。一面的な悪役ではなく、彼等も自身の経験と判断に基づいて動いている。だからこそ彼等の動きから目が離せないし、佃製作所側の頑張りに肩入れする気持ちがよりいっそう募るのである。
そこにさらに航平の娘や別れた妻、銀行から佃製作所への出向社員なども登場して、物語の奥行きを出す。いやはや、素晴らしい素晴らしい。
第四四回江戸川乱歩賞を一九九八年に『果つる底なき』で受賞して以降、高値安定を続けていた池井戸作品だが、『シャイロックの子供たち』以降、それが更にもう一段高いレベルで成長を続けているのである。彼が放つ作品群には、もはや嘆息し、堪能するしかない。
超越
本書は、池井戸潤の原点ともいうべき銀行員を主人公とした短篇を集めた一冊である。銀行で得た金融業界の知識を活かしてはいるが、それだけに依存した作品ではない。
元銀行員という経歴と、銀行を舞台にしたミステリであるデビュー作『果つる底なき』の内容から、池井戸潤には当初“金融ミステリの書き手”、なるレッテルが貼られていた。なんともステレオタイプなレッテルだが、デビュー当時の著者の一面を切り取るには、使いやすい言葉であったこともたしかだ。
実際に池井戸潤は“金融ミステリ”と呼ぶのに相応しい上質な作品を放っている(後に『架空通貨』と改題する二〇〇〇年の『M1』などがまさにそれだ)。池井戸潤は、その後、様々な作品を書き続けることで、自身が“金融ミステリ”というレッテルで括られない作家であることを証明してきた。
そしてこの『かばん屋の相続』である。六篇の主人公全員が銀行員という、まさに“金融ミステリ”のレッテルが似合いそうなフォーマットを使いつつも、一読すればその枠に封じ込めることが明らかに不可能な作品群である。逆説的な言い方になるが、“金融ミステリ”の枠組みを活かして、自分がその枠組みを超越したことを示した作品集なのである。
しかもだ。何より重要なのは、そうした池井戸潤の過去を知らない読者にとって、本書が独立した作品集として、素直に、そして十二分に愉しめる一冊に仕上がっていることである。極めて自然体であり力みがない。にもかかわらず引き込まれるし満足できる。
池井戸潤は、もはやこんな領域にまで到達しているのである。
2011年4月
(むらかみ・たかし 書評家)