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 ちなみに、主人公の山田は昭和六十三年に大学を卒業して銀行に入り、大阪で女社長の会社を担当と設定されている。この山田と、さらには女社長の造形には、池井戸潤自身の体験が投影されているのではないかと推測される。池井戸自身、若手銀行員時代に大阪で豪快な女社長が経営する会社を担当したことがあり、一緒に夕飯を食べたこともあるのだ(『本の話』二〇〇六年二月号の「シャイロックの末裔」と題したエッセイでそう語っている)。その観点でももう一味愉しめよう。

「芥のごとく」の二ヶ月後、池井戸潤は『IN★POCKET』で長篇の連載を始めた(二〇〇七年五月号~〇九年四月号)。『鉄の骨』である。若きゼネコンマンを通じて、談合の実像や是非に迫る長篇だ。その連載と並行して、池井戸潤が書き上げたのが第六話であり表題作でもある「かばん屋の相続」だ。『オール讀物』二〇〇七年一二月号掲載の一篇である。

 父が興したかばん屋を継ぐのを嫌がって大手銀行に就職した兄。兄不在のなかでかばん屋をずっと支えてきた弟。父親が亡くなった際に兄が持ち出した遺言状で、その関係が大いに揺れることになる。遺言状には、かばん屋を兄に継がせると書かれていたのだ。自筆の署名はあるものの、父の死のわずか一週間前に、兄側の弁護士によって作成されたワープロ打ちの遺言状であった……。

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 かばん屋のお家騒動を、担当銀行員の視点から描いた作品である。多くの読者が気付かれるように、二〇〇六年に起きた一澤帆布の相続争いに着想を得た短篇だろうと推測される。あちらは一旦は兄側(元東海銀行行員だ)の勝訴で終わるものの、この「かばん屋の相続」が発表されたあとの二〇〇九年に、遺言状が偽物と最高裁で決着し、本書でいうところの弟側が勝ちを収めている。

 翻って本作品では、騒動の発端こそ一澤帆布と重なるが、そこから先の話の展開は、当然のことながら池井戸潤オリジナルのものとなっている。二〇〇二年一月の母子死傷事件を題材に『空飛ぶタイヤ』を書き上げた池井戸潤らしい一篇である。かばん屋に生まれた兄と弟、それぞれの想いがぶつかり合い、さらに父の想いも重なって池井戸潤の小説は着地する。それも、実にクレバーで、かつ素敵なかたちで。

 二〇〇八年六月の『オレたち花のバブル組』(“バブル組”シリーズの第二弾で、第二二回山本周五郎賞候補となった)を挟んで発表したのが第五話「妻の元カレ」(『オール讀物』二〇〇八年九月号)である。銀行員としての将来に悩みつつ、私生活で妻に関してふとした疑念を抱いてしまったヒロトが主人公だ。池井戸潤は、ヒロトと妻の関係の緩やかかつ本質的な変化を描きつつ、そこに妻の元カレの浮沈を絡め、かつ銀行員としてのヒロトの停滞するキャリアを並べて描く。悪意ではなく、かといって一〇〇%の善意でもなく、三人の生々しい勘定が軋んで深い余韻を残す。まさに大人の小説といえよう。

下町

「妻の元カレ」の翌年に連載を終了し、同年十月に単行本として世に送り出されたのが『鉄の骨』である。

 何故談合はなくならないのだろう──池井戸潤のこんな疑問がきっかけとなって生まれた同書は、第一四二回直木賞候補となり、そして第三一回吉川英治文学新人賞に輝いた。『空飛ぶタイヤ』と並び、池井戸潤の代表作といってよかろう。

 この二作品、熱気といいスリルといい読み応えといい満点であり、さらに展開の妙味も読後感も素晴らしいという作品である。こんなにも上質な作品はそうそう書けるものではない──そう勝手に決めつけて私は、『空飛ぶタイヤ』『鉄の骨』を凌ぐ作品はしばらく書かれないだろうと思い込んでいた。

 だが、それは私の思い違いであった。

 漢字の読めない首相を題材としてユーモアたっぷりに政治の世界を風刺しつつ、同時に世の中を本気で考えることを描いた二〇一〇年五月の『民王』(これはこれでとことん痛快な一冊だ)を挟んで二〇一〇年十一月に刊行された『下町ロケット』が、またしても抜群に熱く圧倒的に素晴らしい小説だったのである。