今思い返してみると、慎重のうえに慎重を期したオーストラリアでの初カジノは、勝つべくして勝ったのかもしれない。ある程度勝ったときには、テーブルを変えてインターバルを置く。調子が悪いと感じたときにも、やはりテーブルを変える。
負けが込み始めたと感じたときには場所を変え、勝ちが重なってきたときには欲張らずに勝ち逃げして座を移す。1回の掛け金をやたらと大きくすることなく、小さな勝負を細かく繰り返す。
いくら流れが良かったとしても、調子に乗ってバンバン賭け始めると必ず最後は負けてしまう。昔から「見切り千両」というように、勝っていたにしても負けていたにしても、スパッと途中で見切る潔さがある人が、目に見えない「運」を奪い合うギャンブルの世界で最終的に生き残るものだ。カジノに通い始めた初期のころは、私も「見切り千両」をしっかり心がけていた。
大きすぎたビギナーズ・ラックが引きずり込んだ“底なし沼”
先述したように、初カジノは家族旅行だったため、子どもたちも一緒だった。昼の間、朝の8~9時から子どもと遊園地で遊び、家族で夕食を終えたあとに男たちはカジノへ繰り出す。徹夜で勝負したあと、移動のクルマの中でウトウト眠っていた。
2泊3日の初カジノでは、種銭の100万円は失ってしまってもいいと思っていた。その種銭はどうなったのか。なんと私は見事に大勝ちし、オーストラリアから日本へ帰国するときには100万円が2000万円まで膨らんでいたのだ。
当時の私にとって、数日間で2000万円もの大金を手にしたことは、驚きと興奮以外の何物でもなかった。この大きすぎたビギナーズ・ラックが、私をカジノのおそるべき底なし沼へ引きずりこんでいくことになる。