Q2の相談は、村ぐるみのリンチ殺人。おまけに一家皆殺しだ。当時は「自検断」と言って、村が村人に対して独自の警察裁判権を行使することも珍しくなかった。しかも「犯罪はケガレである」との考えのもと、罪人の家族にも犯罪の連帯責任が負わされ、一家全員が粛清されてしまうこともしばしば見られた。とはいえ、罪も無い子供たちまで処刑してしまうのは、いくら当時の人でも胸が痛んだようだ。80年前の話なら、もはや当時を知っている者は存命していないはずだが、惨劇の記憶は世代を超えて村の“黒歴史”として語り継がれ、ことあるごとに思い起こされたらしい。ここでも吉田神社は依頼に応え、祈禱料二貫四百文(約24万円)を受け取っている。
公権力を頼らずにみずからの暴力ですべてを解決していた時代、それによって生じる罪悪感とどう折り合いをつけるかは、人々にとって大きな問題だった。吉田神社の霊験は、そうした悩みに一定の解決策となっていたのだろう。
健康問題の解決法
また、今も昔も変わらないのは家族の健康にまつわる悩みだ。
Q3 47歳の女が夫と子供を慕いながら病死しました。ところが、彼女の情愛があまりに深かったせいでしょうか、その翌日には夫が取り殺され、その後、子供たち4、5人が相次いで取り殺されました。これ以上、犠牲者が増えないように、ご祈禱をお願いします。(天文3年〔1534〕12月・摂津国〔大阪府北中部〕の人)
Q4 すでに息子を2人亡くしている27歳の夫と25歳の妻です。今月に子供が生まれる予定ですが、今度こそは無事に育ってくれるように息災祈願をお願いします。(元亀元年〔1570〕6月・近江国の夫婦)
Q3の相談は、おそらく家族内の伝染病感染を疑うべき案件だが、もちろんそんな科学知識も乏しかった時代、その原因は妻の祟りと考えられた。また、Q4の相談も、すべては当時の乳幼児死亡率の高さが原因であろうが、これらのお悩みは、いずれも医療の問題ではなく宗教の領域で処理された。