「おまえのカアちゃん、でべそ!」
この子供同士が使う悪口には、素朴な疑問が浮かぶ。なぜ相手の母親のでべそを指摘するのが悪口なのか。なぜ発言者は相手の母がでべそであることを知っているのか。この言葉のルーツは、鎌倉時代の「母開(ははつび)」という悪口(あっこう)にあった。そこに秘められた、卑猥で強烈な意味とは――。
『室町は今日もハードボイルド』は、室町時代ブームを牽引してきた歴史学者の清水克行さんによる歴史エッセイだ。身の回りや時事的な話題を枕に、逞しく生きる中世人の驚愕の言動を次々と明らかにしていく。
「最近、和を尊ぶはずの日本人による、SNSでの激しい誹謗中傷が問題視されていますが、自力救済の世に生きた中世人は、悪口で激しく相手を罵って自己の利益を守ろうとしました。本質は変わらない。私たちの日常が意外と歴史に繋がっていることを感じてもらえると思います」
描かれるのは、自らの命と利益を守るためには戦うことが当たり前、奪われたら奪い返す、奪われてなくても奪う、実にアナーキーで混沌とした自力救済の世だ。たとえば、外に愛人ができて夫に捨てられた妻は、夫を奪った女の家を集団で襲い、時にはその女の命さえ奪う(うわなり打ち)。少女を連れ去った人買いは、「人を買ったら再び返さないのが、俺たちの法だ」と臆面もなく主張する。
「どんな時代にもおかしな事件は起きるものですが、室町時代はそれが慣習として受け入れられていました。現代の感覚では、不倫は許される行為ではないにせよ、うわなり打ちはさすがにやりすぎ。しかし、中世人は無理もない、と理解していたのです。今日では絶対悪の人身売買にしても、死ぬよりはマシだと身売りする人もいたかもしれない。いわばセーフティーネットの機能もあったのです。また、飢饉のときに買った子どもを働けるまでに養育したのに、買い戻されては投資が無駄になる、という人買いなりの法=正当性もありました。様々な場所で固有のルールが認められていて、時にそれらがぶつかり合う時代だったのです」
つまり、統一されたルールや規格は存在しない。年貢米を量る枡(ます)の大きさは地域で違っていたし、いまなら幹線道路の信号と信号の間ほどの距離で、関所が勝手に設置された。年号すら場所によって異なっていた。
そうした自由すぎる中世人として本書に登場するのは、農民や商人、職人、海賊、僧侶など、名前も知られていない人々。当然、まとまった史料などない。
「北から南まで史料を幅広く集めて繋ぎ合わせていくので、なかなか骨の折れる作業でした。私の師である藤木久志先生からは、『ある習俗を復元しようと思ったら、史料を最低三つ用意しなさい』と生前によく言われていました。一例だけでは異常事態だったのかもしれない。二例あっても偶然の一致の可能性がある。しかし、三例あれば、社会におけるルールとしてある程度受け入れられていたと言えるのではないか、と」
ちなみに、冒頭の「母開」は、英語の「mother fucker」のような俗語だというが……。
「史料の合間に残された週刊誌ネタやゴシップ記事には、当時の人々の喜怒哀楽、恨みに嫉(そね)み、愛や呪いが込められている。そうしたものにこそ、中世らしさが残されています。信長や家康のような有名人すら、そうした中世人のひとりに過ぎません。この本は、固有名詞が多くて歴史が苦手だったという方にも、楽しんでいただけると思います」
しみずかつゆき/1971年、東京都生まれ。明治大学商学部教授。専門は日本中世史。著書に『喧嘩両成敗の誕生』『戦国大名と分国法』『耳鼻削ぎの日本史』など。高野秀行氏との共著『世界の辺境とハードボイルド室町時代』が話題に。