この5月で「令和」がはじまって早3年。気がつけば「昭和」は“2つ前の年号”になっている。歴代の元号の中で最も長い60年以上続いた「昭和」という時代には、令和のいまとなっては「消えてしまった」仕事も少なくない。

 そんないまは見る機会が減ってしまった数々の職業について、『イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑』(文・澤宮優、イラスト・平野恵理子、KADOKAWA刊)から、一部を抜粋して引用する。

 なお、昭和における「賃金・物価」の変遷は次の通り。

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畳屋

 

 一般の家庭に畳が使われるようになったのは明治時代後半。都市部から始まり、地方の農家、山村で使われたのは昭和になってからである。

 畳は畳表と畳床に分かれる。畳表はイ草で織りゴザと呼ばれ、畳の表面につけられる。これは農家やゴザ屋が行い、畳屋は畳床という藁(わら)でできた土台部分を扱う。畳床は乾燥した藁を縦横に交互に重ねて麻糸で縫って作る。縫った畳床は踵(かかと)で踏んで引き締める。刺した数が多いと縫い糸が固く締まり、重量のあるものが上等な畳床になる。このため畳職人を「畳刺し」とも呼んだ。畳床に畳表を被せるにはまず霧吹きで水をかけ、畳床の裏側から糸を通して針で留めておいた畳表を縫って、最後に縁布を縫いつける。

 家が新築されると、畳屋は必ず畳を敷く部屋の床を正確に測る。これを「歪みの見極め」と言う。大工の作った床は若干の歪みが出てくるため、設計図どおりに寸法を測って作った畳が入らないことがある。そこで畳屋が自ら床を測り、歪みに合わせて畳を作る。1ミリのずれもない正確無比な計測が求められた。

 もうひとつの畳屋の仕事は、畳表の取り替えである。取り替えには2種類あり、今まで使っていた畳表を剥がして、ひっくり返して裏面を表にすることを「裏返し」、畳表自体をそっくり新しいものに替えることを「表替え」と言う。

畳の「香り」はいま

 戦後、道端に畳を出して畳表を取り替える光景はよく見られた。車もあまり走っていなかった時代なので、親方を先頭に、畳職人が5、6人、床台を路上に並べて畳表の取り替えを行う姿は壮観だった。年末は畳替えをする家も多いので、大忙しである。

 畳屋が使う道具も独特で、畳専用の針を「待ち針」、畳表の修理で畳を置く台を床台と言い、畳と同じ大きさになっていた。

 現在は作業の機械化が進み、畳屋の仕事も手作業から移行している。同時に、住宅の西洋化、マンションの普及によって、以前ほど畳の需要も多くなくなっているものの、清々しい香りのする畳を愛好する人がおり、畳のよさを改めて感じる人が増えている。

【参考文献】『「和の仕事」で働く』籏智優子著 ぺりかん社 平成18年