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エレベーターガール

 

 エレベーターガールが誕生したのは大阪、神戸のデパートからであった。神戸元町(もとまち)の大丸呉服店、新開地(しんかいち)の喜久屋(きくや)食堂だ。大丸では容姿端麗な女性を採用し、派手な衣装を着せて勤務させたため、男性客が1階から2階に上がるのにもエレベーターを利用したり、エレベーターガールを見るためにデパートに行くこともあった。

 東京では上野の松坂屋が最初で、昭和4年には、18歳以上の女性を、7、8人採用していた。当初は受付、案内などを含む、サービス的な仕事はデスクワークよりも下に見られていたが、一方で「近代的職業婦人」と見る人もおり、戦後になると立場も向上した。

 ただ戦前のエレベーターはハンドルを回して運転するように作られていたので、エレベーターガールは運転もしながら、各階の案内もしなければならなかった。慣れないうちはハンドルに気を取られ、案内を忘れるときもあれば、エレベーターを各階にきちんと止めるのも難しく、案内しているうちに、床と30センチほど離れて止めることもあった。

重労働と「憧れ」の職業

 戦後になると、白木屋デパート、企業ビル、東京タワーなど多くの場所にエレベーターガールが登場した。労働時間は8時間、1時間ごとに15分休みで、以前より勤務時間は短縮されたが、東京タワーであれば、30分間に12、3回上下することになった。振動も激しいために、脚の疲労だけでなく、ストレスもあって肩こりや、胃炎など内臓を痛めることもあった。また観光客相手のエレベーターだと話しすぎて口が痛くなることもあれば、男性客と二人きりになると、近づいてくる客もあったり、気苦労も絶えなかった。夏の暑さ、冬の寒さなどにも悩まされ、重労働であることに変わりはなかった。そのなかで、丁寧な言葉遣いで、華麗な服に身を包んだ彼女たちは都会的な職業として憧れの的でもあった。

 平成不況になって、ほとんどの百貨店のエレベーターは自動運転になりエレベーターガールは消えていったが、一部の百貨店ではまだ姿を見ることができる。

【data】
・労働時間:1日8時間、1時間ごとに休憩15分(昭和4年)
・月収:17~27円(昭和11年)*東京統計局調べ

【参考文献】〈週刊明星〉昭和34年11月22日号掲載「いらっしゃいませ、どうぞ 1坪の職場で…エレベーター・ガールの座談会」/〈婦人サロン〉昭和4年10月号掲載「エレベータ・ガールと語る」吉木更著

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