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駄菓子屋

 

 明治時代、駄菓子屋は「一文菓子屋」と呼ばれ、すでに存在していた。江戸時代に最小単位の通貨が一文であったことから「安い菓子」という意味を指した。昭和初期にもっとも栄え、芋羊羹(いもようかん)、金花糖(きんかとう)、カルメ焼、おこし、せんべいなどを売っていた。飲み物はラムネ、ミカン水などがあった。

 大きな箱に菓子が包装されずそのまま入っていて、客が必要なだけ手に取って「杠秤(ちきり)」という秤(はかり)に載せて、重さによって値段を決めた。

 駄菓子屋の看板を掲げていても、菓子だけで生計は成り立たないので、ベーゴマ、ビー玉、おはじき、水鉄砲、ゴムまり、怪獣カードなど簡単な玩具も売った。文房具を置く店もあった。菓子と玩具が融合することで、子供たちの間で、最新の玩具、菓子などの流行が生まれ、一躍社交場的な役割を果たすようになった。戦前だと1銭、2銭で買えるものが多かった。また戦後になって大手菓子メーカーが増えて、チョコレートなどを売るようになっても、子供たちには高価であったので、これらよりも安い駄菓子屋に行くことが多かった。籤引(くじび)きで景品が当たるなど、子供たちには、菓子を買うにしても自分の小遣いでは駄菓子屋へ、親から買ってもらうのは大手メーカーの菓子があるスーパーへと、2つは共存ができていた。

子どもに人気の「駄菓子」…反対は?

 昭和30年代になると、駄菓子屋で切手や印紙なども売られ、雑貨店化してゆく。「電気冷蔵庫入り飲み物」という看板を掲げ、まだ冷蔵庫が家庭になかった時代に、冷たい飲み物を売って子供たちの目を引く工夫がなされた。駄菓子屋の経営も様々で、通常は隠居したお婆さんが一人で行うことが多く、家族は別に仕事を持っていることが多かった。

 子供たちの流行の発信地であった駄菓子屋だが、やがて大手菓子メーカーの商品が廉価になったりテレビゲームなど娯楽が増えると、子供たちが駄菓子屋の廉価な玩具や菓子をこぞって買うこともなくなってしまった。

 駄菓子の対極の菓子を、「上菓子」と言う。餅菓子、羊羹、団子、カステラなどで、駄菓子と区別した。

【data】菓子の価格:1個約10~50円(昭和46年・熊本)

【参考文献】『昭和の仕事』澤宮優著 弦書房 平成22年

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