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雑貨屋

 

 いわゆる庶民向けの日用雑貨を売る店で、大正期から見られ「よろず屋」とも呼ばれた。よろず屋とは多様な商品を売っている店という意味であり、売り物以外でも客から頼まれれば、たいていのことには応えた。いわば町になくてはならぬコンビニエンスストアの役割を担っていた。

 菓子、アイスクリームを中心に煙草や酒の他、醤油、鋏、糸、化粧品、靴、サンダル、下駄、砂糖、ちり紙、玩具、菓子折の詰め合わせ、ノート、鉛筆等の文具、赤電話などを扱う。綿菓子や、らくがん、ロールケーキなどをその場で作って売る店もあった。

 戦前からの雑貨店は、地域の高齢者のサロンでもあり、店の奥にある畳敷きの台には火鉢が置かれて、いつでも客が座って談笑できる工夫がされていた。おのずと地域の情報も集まり、雑貨店は情報センターの役割も果たし、客の生活相談に乗ることも多々あった。

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商売以外の“つながり”も大きかった

 戦前の農村では、手紙を満足に書けない大人もいたので、雑貨店が都会にいる子供への手紙を代筆することもあった。また下駄の歯替えも行うなど、単に物を売る以外の業務にも長けていた。行商的な要素もあり、電話一本で地域に配達するなど、地域と密着した経営が行われ、人情をベースに、事務的な対応をせず、「掛け売り」など融通の利く点に小売店独特の長所があった。

 しかしながら、昭和30年からスーパーマーケットの進出、地方の人口の過疎化、乗用車の普及などで、雑貨店がなくても、品物が手に入るようになり、急速に廃れていった。

 現在は、コンビニエンスストアに姿を変えるようになったが、コンビニと違って地域の人たちとのコミュニケーションや、商売以外の人とのつながりを重視して営業していた雑貨店の存在は、希薄な人間関係が主流になった今日では貴重な存在であった。

【参考文献】『昭和の仕事』澤宮優著 弦書房 平成22年