豆腐売り
豆腐の存在は、寿永(じゅえい)2年(1183)の文献に見られる。この当時はまだ珍しい食品で、室町時代になって広く普及し、僧侶の料理に使われていた。江戸時代になると調理次第で料理の幅が広がる豆腐は重宝され、行商(江戸では引き売りと呼ぶ)によって一般にも売られるようになった。
行商は天秤棒の双方に吊り下げた桶の片方に豆腐、片方に油揚げなどの加工したものを入れて売り歩いた。昭和になるとリヤカー、戦後になると自転車の荷台に載せて家々を回るようになった。
地方によって売り方に違いがあるが、朝と夕方に小さいラッパを吹きながら知らせることもあれば、「とーふー、なまあげ、あぶらげ、がんもどき」と言いながら、ラッパを吹くこともあった。ラッパの代わりに鐘を鳴らして売る人もいた。豆腐屋の到着を知ると、客は豆腐を入れる容器を持って買いに行った。
豆腐が長きにわたって庶民に重宝されたのは、戦前から戦後にかけて今のように食材事情が良くなかったことがある。大豆から作られる豆腐はタンパク質を多く含み、栄養価が高い。同時に味も薄く様々な料理に加工しやすいという味覚上のメリットもあった。
早朝から売り歩いたラッパの音
豆腐屋は夜が明けぬうちに起きて豆腐を作り、店でも売ったが、主に行商で販売した。そのスタイルは戦後も続き、まだ店もほとんどない地域にとっては有り難がられた。
また店の近くの地域であっても、当時は豆腐に防腐剤を使わず日持ちしなかったので、売れ残ったものをその日のうちに行商で売りにくることもあった。豆腐は崩れやすいので、自転車だけでなく、天秤棒のように棒の両端に容器を下げて、歩いて売るスタイルも取られた。
高度経済成長期に入ると、メーカーの日持ちする豆腐が出回り、スーパーでも手軽に買えるようになった。すると、自ら作って売る豆腐屋は少なくなり、昭和60年代にはほとんど見られなくなった。
【data】
・豆腐の値段:20銭(昭和20年)/1円(昭和22年)
・豆腐屋の軒数:440軒(昭和29年・佐賀県)/56軒(平成16年・佐賀県)
【参考文献】〈佐賀新聞〉平成16年8月15日付掲載「時代万華鏡 33 1丁の心意気」/『豆腐屋の四季 ある青春の記録』松下竜一著 講談社 昭和44年