毎週のようにワイドショーを賑わす、有名人の不倫騒動。パートナーの不貞行為は古今東西、あらゆる人々を悩ませてきた。中世の日本を生きた代官や武士の妻たちもまた、夫の不倫に苦しんでいたが、一方で彼女たちは、現代では絶対にありえない“復讐”に打って出ることもあった。それが「うわなり打ち」である。では、その世にも恐ろしい実態とは――。

 NHKの「タイムスクープハンター」などの時代考証も務めた清水克行教授が、中世日本人のアナーキーすぎるエピソードをまとめた『室町は今日もハードボイルド』(新潮社)より、抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編に続く

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「みなさんは“うわなり打ち”って聞いたことありますか?」

 この問いかけで始まる授業を、私はもう何年繰り返しただろう。大学の教壇に立ってかれこれ10年以上になるが、毎年、大教室の講義で話題にすると妙に盛り上がるのが、このネタである。漢字で「後妻打ち」と書いて、「うわなりうち」と読む。その内容を簡単に説明すれば、こういうことになる。

 妻のある男性が別の女性に浮気をする。というのは、好ましいことではないにせよ、現代でも時おり耳にする話である。しかし、これが「浮気」ではなく「本気」になってしまったとき、悲劇は起こる。夫が現在の妻を捨てて、べつの新しい女性のもとに走る。そんな信じがたい事実に直面したとき、現代の女性たちならどうするだろうか? ただ悲嘆に暮れて泣き明かす? 証拠を揃えて裁判の準備? 週刊誌に告発? あまい、あまい。そんなとき、過去の日本女性たちは、女友達を大勢呼び集めて、夫を奪った憎い女の家を襲撃して徹底的に破壊、ときには相手の女の命を奪うことすら辞さなかったのである。

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 これが平安中期から江戸前期にかけてわが国に実在した、うわなり打ちという恐るべき慣習である。夫に捨てられた前妻(古語で「こなみ」という)が仲間を募って後妻(古語で「うわなり」という)を襲撃するから、その名のとおり、うわなり打ち。今日は、そんなうわなり打ちの習俗を題材にして、日本史上の女性の地位と婚姻制度の関係について考えてみたい。

ハレンチ代官の罪状

 その凄惨な事件は、室町時代の中頃の備中(びっちゅう)国上原郷(かんばらごう)(現在の岡山県総社市)という荘園で起こった。上原郷は京都の東福寺が支配する所領で、京都から代々東福寺の僧が代官として派遣されて、荘園の管理業務が執り行われてきた。ところが文安元年(1444)12月、その代官の不正に耐えかねた百姓たちが、荘園領主である東福寺に対して告発状を送りつけ、その非法の数々を暴露したのである(『九条家文書』)。

 代官の名前は、光心(こうしん)。室町期の荘園史上、最もハレンチな代官として、その悪名を知られた人物である。彼に対する百姓たちの告発状は、17ヶ条にも及ぶ。その一部を紹介すれば、以下のとおりである。自分の田地の耕作のために、郷内の男女を食事もやらずに日の出前から日没後まで強制的にこき使う。困窮して年貢を支払えなくなった百姓たちの年貢滞納額を、そのまま借金として貸し付けたことにして、そのうえどんどん利子を加えていく。本来、上原郷は東福寺領荘園として、備中国守護であろうとも手出しできない特権が認められていたにもかかわらず、備中守護細川氏とつながり、まるで上原郷を細川氏の所領のようにしてしまう。あげくは、ことあるごとに「東福寺がオレを任期途中でクビにしたら、この荘園を守護領にしてやる」と、脅迫まがいのことを口にする、などなど。