恐懼して地べたに頭を擦りつけて謝る牧に対して、頼朝の怒りはなおも収まらず、ついにみずからの手で牧のマゲをつかんで、切り落としてしまう。当時の人々にとってマゲを切られるのは最大級の屈辱である。気の毒にも牧は泣きながら、その場を逃げ去ったという。なんとも頼朝の器の小ささがうかがえる、みっともないエピソードである。
ちなみに頼朝は、このあと文治2年(1186)、政子の次女出産のときにも懲りずに大進局(だいしんのつぼね)という女性と密かに関係をもち、のちにそれがバレて政子の逆鱗に触れている。“懲りない男”というべきだろう。男性の浮気が妻の妊娠中になされるという話は現代でもよく聞くが、“天下の征夷大将軍”の浮気性もそれと同種のものだったようだ。
さて、この逸話、北条政子の“男まさり”を語るエピソードとして歴史ファンのあいだには有名なもので、過去に大河ドラマなどでも、何度か映像化されている。ただ、そこでのこの逸話の扱われ方が、私には少々不満がある。のちの“尼将軍”は、男に浮気をされても泣き寝入りすることなく、“倍返し”以上の報復をもって、これに臨む。さすがは天下の北条政子。といったふうで、ストーリー上、政子の特異な個性を際立たせるための材料として使われているのである。
しかし、さきの室町時代の上原郷の逸話を思い出してもらえばわかるように、ここでの政子の行為は明らかにうわなり打ちである(頼朝は亀の前に乗り換えたわけではないので、その点は厳密にはやや変則例ではある)。夫を奪った女性に対して復讐を行うことは、なにも政子に限らず、中世の女性には当たり前に許されている行為だった。だから、この逸話を政子の“男まさり”を物語るための材料として使うとしたら、それは不正確で、それをいうなら、政子に限らず、中世の女性はみんな“男まさり”なのである。
(後編に続く)
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