ちょっと可笑しいお悩みも
なかには、当人たちは大真面目なのだろうが、僕らから見ると、少し笑ってしまうお悩みもちらほら。
Q5 私の子供3人(彦三郎・満・くら)が病弱で、いつも体調を崩しています。以前に私が手を付けて捨てた女がいまも生きているのですが、その女の恨みによるものでしょうか?(天正10年〔1582〕2月・彦左衛門)
Q6 我が家のかまどが去年7月頃に2、3度音を鳴らして、割れ砕けました。その後に修繕をしたのですが、またも音を鳴らして割れ砕けました。気持ち悪いので、お札をください。(天文3年11月・ういろう屋の藤五郎)
いずれも、当時の人々の霊威に対する怖れが前提にある。実際、鎌倉~室町時代の人々は、何かというと神仏に誓約をした。その誓約書のことを「起請文」といい、そこで誓った内容を裏切ると大変な神罰・仏罰が下ると信じられた。ところが、その一方で戦国時代の吉田神社には、こんな依頼も舞い込んでいた。
クーリング・オフOK
Q7 禁酒を起請文に書いて誓ったのですが、その後、どうしても出席しなくてはならない会合があり、そこで酒を飲んでしまいました。その後、精神状態が不安定になり、真剣に悩んでいます。「起請返し」をお願いできないでしょうか?(文禄5年〔1596〕正月・寺西筑後)
Q8 離婚しようと夫婦で一度は起請文を書いたのですが、子供や親類のことを考えると別れ難く、やはり復縁することにしました。とはいえ罰が当たるのは怖いので、「起請返し」をお願いします。(天正12年〔1584〕12月・青山助兵衛尉)
神仏に対する信仰心が薄らぎ始めたこの時代、あれほど恐れられた起請文での誓約すらも、所定のお祓いをうければ無かったことにすることができるという考えが広まっていた。吉田神社では、「起請返し」と呼ばれる、この神仏へのクーリング・オフ業務も受注していたのだ。依頼する側も依頼する側なら、引き受ける側も引き受ける側だ。中世も終わりに近づき、他方で神仏への畏敬の念は確実に希薄になっていたのである。
ただし、Q7の禁酒破りの祈禱料は一貫二百文(約12万円)。現代に生きる僕らが何の躊躇もなく神仏への約束を反故にするのに比べたら、彼らは遥かに律儀だったと言える。