都の路上でバクチにカツアゲ、大乱闘……500年前の日本はどのような様相を呈していたのか? ここでは歴史学者・清水克行さんの新刊『室町ワンダーランド あなたの知らない「もうひとつの日本」』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介する。
京都大学のすぐ横、緑豊かな吉田山の山中にある吉田神社は、室町時代に「お参りすれば、日本中のすべての神社をお参りしたのと同じご利益が得られる」といわれる超パワースポットだった。また、室町後期に異端の宗教家・吉田兼倶(かねとも)を輩出している。
そんな吉田神社に寄せられた「500年前のお悩み相談」の内容とは?(全2回の2回目/最初から読む)
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吉田兼倶が創始した“唯一神道”は、彼の死後、半世紀ほど経つと、“新興宗教”特有のケレン味も消えて、次第に多くの人々の支持を獲得するようになっていった。兼倶の孫兼右(かねみぎ)、曾孫兼見(かねみ)の残した日記を開いてみると、戦国時代、吉田神社は全国の人々から篤い信仰を集めるパワースポットとしての地位をすっかり確立していたことが分かる。
日記には、彼らのもとに全国の人々から様々な相談ごとや祈禱の依頼が寄せられていたことが記されている。霊験あらたかな吉田神社は、すでに悩める庶民たちのよろず相談窓口となっていたのだ。ここでは、そんな吉田神社に寄せられたお悩み相談の内容を紹介しよう。いったい500年前の日本人は、どんなことに悩んでいたのだろうか?
ハードすぎる悩みの数々
Q1 10年ほど前、円阿弥という男を殺しました。その祟りに苦しめられています。祟りを鎮めるために円阿弥を神として祀ってもらえないでしょうか? ちなみに彼の命日は、6月26日です。(永禄11年〔1568〕3月・竹内左衛門太郎)
Q2 80年以上前でしょうか。嶋野という男の悪行があまりにひどいので、村のみんなで殺しました。そのとき、ついでに男児5人と妻1人も殺しています。最近、不吉なことが起こるのは、そのときの祟りでしょうか。彼らを神として祀ってください。(同年同月・伊賀国〔三重県西部〕某村)
いきなり刺激が強すぎただろうか? さすがは戦国乱世、どちらもなかなかハードな相談内容だ。Q1の相談者、竹内左衛門太郎は、名前からして武士。殺された円阿弥は出家者なのだろう。どんな理由か分からないが、仏に仕える者を殺害するのは大罪なので、さすがに寝覚めが悪かったようだ。10年経った今も命日を記憶しているところが、悩みの深さを物語っている。このときは吉田神社からお札を送ってあげたところ、礼金として一貫二百文(現在の約12万円)が届いている。