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 メンバーそれぞれが個性を生かしながら、仕事に打ち込む姿の事細かな描写にはぐっと惹き込まれる。

「僕」は同い年の「タクヤ」とラジオの仕事を通して出会ったのをきっかけに、グループとの関わりを深めていく。1996年、人気急上昇中の彼らが冠番組を持つこととなり、「僕」も放送作家として参画。番組は好評を得るが、直後にメンバーの「モリクン」が脱退することに。記者会見では喋りが得意でない「モリクン」を「リーダー」が全力でフォローした。

 しばらくのち、タクヤが結婚を発表。人気下落のリスクもあったが、人間らしくあることを貫きながら記者会見やコンサートを乗り切っていく。

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SMAP ©文藝春秋

“公開謝罪番組”が残した深い傷

 東日本大震災の後には、身の危険や反感を買う恐れをものともせず、メンバーそろっていち早く生放送で歌唱し、好評を得る。いつの世にもエンターテインメントは求められ、その影響力はとてつもなく大きいと知らしめた。

 そして2016年、解散騒動が巻き起こったとき。事務所の意向として生放送でだれかが言わなければならぬあるまじきセリフの発話を、「ツヨシ」はただひとこと、

「分かった」

 と、すべてを呑み込み引き受ける。

草彅剛 ©時事通信社

 プロとして仕事に打ち込む、そのことだけが、青年を大人にするものなのだな……。読み進めるうち、そんな感慨が湧いてくる。

 解散騒動時に、視聴者のだれも望まぬ放送をしてしまったことは、「僕」にも深い傷痕を残す。

「その放送にスタッフとして、放送作家として参加した僕も戦犯である。」

 2016年末にグループ、すなわちSMAPは解散した。メンバーたちは一人ひとり、自分の道を歩み始めている。ことし断筆宣言を実行に移した鈴木おさむもまた、ひと足遅れで彼らと歩調を合わせたということなのかもしれない。

人生百年時代の「生きる知恵」にも

『最後のテレビ論』と『もう明日が待っている』は卓絶した仕事論であり、テレビの世界や国民的アイドルグループを軸に眺める「現在史」でもあり、また、かつて話題をさらった芸能ネタの裏側がちょいちょい暴露されて下世話な関心を満たしてくれる一面もたっぷりある。なんとも多様な意味合いが詰まっている。