「『英語圏でもフィットするネーミングじゃなきゃダメ』というのが滝沢社長の“条件”でした。『あっちでは見られなかった世界を必ず見せるから』と」
そう話すのは、タッキーこと滝沢秀明率いる「TOBE」の関係者だ。
滝沢社長のもとに“辞めジャニ”が続々と集合
自らジャニーズアイドルとして「タッキー&翼」で活躍し、NHK大河ドラマ『義経』(2005)では主役を張るほどの俳優でもあった滝沢。だが、2018年いっぱいをもって芸能活動からは身を引き、事務所内で後進の育成に専念していた。
その後ジャニーズ事務所(当時)の副社長、ジャニーズアイランド(同)の社長まで務めたが、2022年10月ですべて退任。昨年3月21日に自らが代表取締役社長を務める、株式会社TOBEの設立を発表した。
「“辞めジャニ”が続々と滝沢のもとに集まりました。まず三宅健、元『King & Prince』の平野紫耀と神宮寺勇太、遅れて岸優太。『IMPACTors』として活動していた7人組に大東立樹、元『Kis-My-Ft2』の北山宏光――。すでに“お客さん”を掴んでいる元ジャニーズのメンバーたちのまるで“受け皿”のようでした。
問題は「元キンプリの3人のグループ名」だった
IMPACTorsは、ジャニーズ時代CDデビュー前だったので『IMP.』というグループ名へ、ある種マイナーチェンジで済みました。が、問題は、元キンプリの3人のグループ名だったんです」(同前)
熱心に続く話し合いのなか出てきたのが、冒頭の滝沢社長の言葉だったという。
「キンプリは6人組として活動を開始し、2018年にCDデビューしました。故ジャニー喜多川氏自らが最後に手掛けたグループで、『海外でも活躍させる』との野望があった。ところが2019年にジャニー氏が亡くなり、2023年には生前の性加害報道の波が押し寄せた。
結局、多くのファンがついたキンプリは分裂し、3人は滝沢のもとへ。永瀬廉と髙橋海人は旧ジャニーズに残りふたりで『King & Prince』を続けるといういびつな状態となったわけです。
TOBEに移籍した3人は、『このままでは夢だった海外進出は果たせない』という想いが強かった。あとからデビューした『Travis Japan』が米・キャピトルレコーズと契約し2022年にメジャーデビューを果たしたことへの悔恨の念も強かった。