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駅伝中継に夢とプライドを賭けた仕事人たち

――そこから、小説にするアイデアが芽生えたと。

池井戸 その後、中継番組を企画した伝説の初代プロデューサー、坂田信久さんをはじめ関係する方々につながることができて、直接お話を伺いました。

 箱根駅伝を生中継するって、実際、ものすごく難しいことだったんですよ。何しろ正月の2日間、東京・大手町から箱根に至る、あれだけの距離の道路と時間を生で追いかけるわけですから。しかも、箱根の山々が障壁になってしまい電波が届かないため、当時の技術では生中継は不可能だと言われていたんです。
 
 坂田さんが最初に企画したとき、当然、局からGOサインは出ませんでした。しかし、坂田さんは諦めず、箱根駅伝中継を実現するために、まずは元旦の全国高校サッカーの中継を企画して成功させる。そうやって社内での信頼を得ていくわけです。何回ものトライを経て、ようやく制作許可を取り付けた。
 
――ものすごい執念ですね。

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池井戸 なんとか中継車からの電波を拾うために、箱根の山の上にアンテナを運んで立てたりするんですね。ウルトラCですよ。スケールが違う。テレビマンとはいえ、いちサラリーマンです。何度も突き返されながらもこれだけの企画を通し、成功させるのは並大抵ではない。自分の仕事に誇りとロマンがあって、覚悟や矜持もあった。小さくまとまりがちな人が多い昨今、これだけ度量のあるサラリーマンがどれだけいるでしょうか? この偉業は、もっと多くの人に知られていいんじゃないかと思いました。それによってきっと勇気がもらえる人が大勢いるはずだし、今の働き方、生き方を見直すきっかけにもなるでしょう。

 こうして、箱根駅伝の中継に奮闘するテレビクルーたちの物語を考え始めました。実際に書き始めるまでには、ずいぶん時間がかかりましたが……。