一昨年『ドライブ・マイ・カー』の米アカデミー賞を含む受賞ラッシュで、世界中に広く知られることになった濱口竜介。
新作のテーマは、「『自然と文化』の対立」。
――そう思って観ていると、ラストではわれわれの予想を裏切る展開を見せる。
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自然の音をとらえて〈気配〉を持続させたかった
――石橋英子さんとのご縁から始まった企画ということで、まず映像と音の融合が秀逸であると感じました。
濵口 もともとライブパフォーマンス用の映像という前提がありましたから、あるかなきかの〈気配〉を捉えられたらいいな、と思いました。石橋さんの音楽によって画面の気配を更に翻訳して表現してもらう、という感覚でしょうか。
また、自然の音も重要で、やはりミュージシャンでもある松野泉さん(録音・整音)の役割が大きかった。撮影地は本当に静かで、葉っぱを踏む音やかすかな鳥の鳴き声も鮮明に響いてくる。そういう音を捉えて、〈気配〉を持続させたいと考えました。
――冒頭の長い長い木々の俯瞰ショットから得体の知れない不穏さがたちこめていて、それが全篇にわたって持続します。
濵口 必ずしも不穏さを意識していたわけではないのですが、〈気配〉を感じるということは不安を掻き立てられることでもある。画面に映ってはいないけれど、なにかがいる感覚というのかな。
それが善いものなのか悪いものなのかもわからない状態というのはやはり不穏なんでしょうね。
「いいものって究極的には偶然にしか映らないと思うんです」
――撮影中にどこまで現場の偶発性を取り込んでいったのかが気になりました。たとえば、巧(大美賀均)の薪割りを高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)が見ている場面で、途中、割った薪が高橋の足元に転がっていくところは偶然撮れたものだと思いますが、ああした偶然のつらなりがまた映画の不穏さを強めている。
濵口 薪割りという行為にはつねに失敗の可能性が潜んでいるわけです。あれはすごく疲れる作業なので、テイクもあまり重ねられない。
割れなかったら割れなかったで、なんとかするしかないという気持ちはありましたが、それでやってみたら、大美賀さんがめちゃめちゃ薪割りがうまかったというのがまず偶然、というかラッキーでした。