「知子さんの殺された前後のアリバイにしろ、知子さんとの肉体関係についても、肝心な点をつくと『知らぬ存ぜぬ』の一点張りだ。思うような調べにならなかった」(前出)
とはいうもののさすがに“落としの八兵衛”、厳しい取調べを受けた神父はげっそりと痩せ、精神的にもかなり追い込まれていた。教会側の関係者からの証言だ。
「彼(ベルメルシュ神父)の体は瘦せ細って骨と皮だけになっていた。神父という聖職にある者が、こんな殺人事件に巻き込まれ、同僚からも冷たい眼でみられている。このままでは死んでしまうのではないかと思われたほどです。当時の彼は半狂乱でした。事件の解決にはバチカンもまったく動いてくれなかった」(「神父はなぜ出国できたのか」『週刊現代』昭和49年5月10日号)
取調べは引き続き予定されていたが、このままでは神父の体が危険と認識した教会は、母国・ベルギーでの休養が必要と判断した。平塚刑事はこう語る。
「ベルメルシュ神父は6月11日に突然、帰国しちゃったよな。6回目の調べを、たしか6月13日に予定していたところだ。なぜ急に帰っちゃったのかは、オレはいきさつを聞いてねえ。“落としの八兵衛”といわれても、さすがに調子が狂って勝負にならなかった」(前出)
もっとも神父の帰国は事前に、警視庁に通告されていたというのだ。
「ベルメルシュ神父本人か、それとも関係者か知らないが、羽田から飛び立つ前に誰かが警視庁の正面玄関の受付に『今夜帰国する』という意味のメモを置いて行った。宛名のない手紙だから、捜査本部に着くまで時間がかかった」と、この事件の捜査本部長であった新井裕刑事部長の言葉が残されている。
一方、教会側の言い分として、デルコール神父は次のように語る。
「警察もこれを秘密にしていますが、彼(ベルメルシュ神父)が“出る”ということも、警察のある人だけが知っていたのです。彼を帰したのは、警察側がそれを望んだからです。警察が出国のチャンスをくれたのです」
“神父クロ説”を強く打ち出していたものの決定的な証拠がとれず、出国すれば警察のメンツが保たれるという理由であった、というのだ。
警視庁では知子さんと肉体関係のあった関西の男性2人を含め、少しでも関連のある人物を洗い出し、一人ひとりアリバイ等を根気よく調べていた。その数347名──。
厳密な捜査の結果、捜査対象者のほぼすべてのアリバイが成立し、アリバイが曖昧であったのはベルメルシュ神父だけであった。その彼が6回目の事情聴取が行われる2日前、教会の一方的な都合により、帰国してしまったのだった。